カラオケ化についてまとめ

2021/9/12作成

これまで音楽の演者と聴衆の間にある壁P/ECEの思い描いた世界コミPo!を使ってみたでカラオケ化について書いてきました。思いつくままに書き散らかしてきたので自分でも少々読み返すのが不便になってきました。考えもだいぶまとまってきたので、ここらでカラオケ化について整理してみようかと思います。

まずカラオケ化の定義を改めて。一般にプロと呼ばれる方のいらっしゃる分野。スポーツでも演奏でも創作でも。料理や裁縫や木工なども入れてもいいでしょう。プロがそのスキルを活かして他人には真似の出来ない立派な活動を行い、その活動の結果を一般大衆がお金を払って享受する。こうした活動はその分野の頂点の活動です。一方、素人がちょっとかじった程度の真似事をすることもあります。その真似事で出来上がったものは当然にプロからすると見劣りがしますし、お金を出す人も居ません。でも当人としては楽しい。当人が自分の楽しみのために活動をしているのであれば、それはいいのではないか。まさにカラオケで歌うようなものということで、カラオケ化というわけですね。

カラオケ化は当人が楽しい以外にもメリットがあります。プロも最初からプロではないですし、最初から絶対プロになると決めていたわけでもないでしょう。趣味として始めてみたら面白くてのめり込み、更に才能にも恵まれていたのでプロになったということもあるかと思います。であればカラオケ化はプロになるためのステップでもあるでしょう。

プロになるだけが正義でもありません。カラオケレベルでアマチュアに留まっていたとしてもメリットはあります。一つはプロの凄さが理解できること。バッティングセンターに行って150キロに設定して打席に立ってみると、プロ野球選手が如何に高度な能力を持っているか理解できるでしょう。見ているだけと、実際に自分でやってみることには大きな違いがあるんですね。これは以前20時間の法則で書いたことです。

プロによる活動はその分野の頂点として、アマチュアによるカラオケ活動はピラミッドのすそ野だと思います、すそ野が広いほど頂点は高くなりますから、アマチュアが多数参加することによってその分野が活性化してプロもより高みを目指すことが出来る。また、多数のアマチュアが参加することで分野の多様性が確保できますから、そこから新しい発展や変化が起こることも期待できます。

というようにまとめる通り、私は基本的にカラオケ化は善だと思っているのですが、カラオケ化によってむしろ分野が衰退するという危惧もあります。これについても考えてみましょう。

これは、悪貨が良貨を駆逐するという言葉がありまして、もう言い古されたことでもありますよね。以下、ちょっとなろう小説で例えてみたいと思います。話の流れ上、なろう小説をレベルの低い悪貨であると仮定していますが、もちろん実際にはそうではありません。なろうにも良質な小説はたくさんありますし、なろうからプロになった小説家の方もいらっしゃいます。一方で小説におけるカラオケ化の代表的なサイトでもあると思うんですよね。ということで、少々おつきあいください。

これは実際に起こっていることらしいのですが、世の中には「小説家になろう」でしか小説を読まない層というのが一定数居るらしいのですね。本来なら小説という大きなピラミッドの一部であるはずだった「小説家になろう」が、それ自体がピラミッドの頂点になってしまっている。実際には小説はもっと幅広い作品があるのに、「小説家になろう」という一部の世界だけに閉じこもってしまっている。当然に商業出版されている小説も読まれませんから、プロの作家の方からすると文句の一つも言いたくなるのもわかります。プロの作品にはもっと凄いものもたくさんあるのに、なろうレベルで満足してしまっているのは勿体ないと(ほんとごめんなさい。なろう自体を悪く言いたいのではなく、あくまでも例えとしてなんです)。

同様の指摘は音楽の世界でもあるようです。今どきはスマホにイヤホンをさして、サブスクで自動選曲された曲を流し聴きする。それ自体は音楽の新しい体験なのですが、それだけになってしまうと音楽体験の幅が狭まってしまう。ライブで聴くとか、オーディオシステムに自分で選んで買ったCDやレコードをセットして聴くのとは明らかに違う音楽体験。優劣の問題ではなく、体験の幅の問題。音楽にももっといろいろな楽しみ方があるんだよというのは、音楽を愛する人からすると当然に出てくる意見だとは思います。

要するにカラオケ化によってピラミッドのすそ野が広がるのではなく、そこに小さなピラミッドが出来上がって閉じこもってしまうイメージでしょうか。そしてもともとあったピラミッドは支える人が居なくなって崩壊してしまう。カラオケ化による分野の衰退は、そういう感じで発生するだろうと思います。

では素人によるカラオケ化を禁止して、プロによる傑作のみを素人に下賜するというのは、それはそれでとても世界が狭まってしまっていると思うんですよね。カラオケ化によってその分野が発展するか衰退するか、どっちになるかはわかりません。それぞれの分野にいらっしゃる方の努力によってある程度は未来を変えられるとは思いますが、カラオケ化の禁止は違う方向だと思うんですね。

ここまで書いてきてようやく自分でも少し整理出来てきましたが、問題の本質はカラオケ化自体ではなく、カラオケ作品で満足してしまう消費者ということではないのかなという気がします。「小説家になろう」にカラオケ化小説を発表している作家ではなく、「小説家になろう」の作品を読んでるだけで満足してしまう読者の問題。なので解決方法としては「小説家になろう」の読者に対してプロの作品への誘導を行うことではないだろうか。そうすれば分裂していたピラミッドを再統合することが出来て、文学というピラミッド自体をより大きくできる。そんな風に思いました。