個人でクリエートしながら食べていけるか問題

2018/4/17作成

個人でクリエートして食べていくことについて、つらつらと考えたことを書き連ねます。特に結論も知見もないし、書いてることのほとんどは私の想像なんで、これ読んでも特に何のためにもならないと思います。単に、私にとっての今の覚書なだけです。はい。

iPhoneと共にアプリストアが登場した時、これで個人の開発者が食っていけるとも てはやされました。でも現実にはアプリで食べていけてる個人開発者はごく少数な気がします。クラウドでウェブサービスも敷居が低くなって個人でも出来ると言われてるけど、こっちも実際にそれだけで食べていけてる人は少なそう。多分ですが、スマホアプリやウェブサービスで食べていけてる個人開発者って、それだけで食べていけてるYoutuberやプロブロガーよりも人数少ないんじゃないでしょうか。統計とか調べたことがないので、実際のところがどうかは分からないですが。もっとも、これがベンチャー企業でスマホアプリやウェブサービスで経営が成り立ってるところとなると、途端に数が増えるような印象があります。サービス単体で収益を上げてるとは限らなくて、うまくスポンサーを見つけるとかも含めてですけれども。

余談ですが「これで個人の開発者として食っていける」って話は、私が聞いたことがある最古のものはWindows 3.1でVisual C++が出始めた頃ですかね。当時、便利なVBX/OCXを作って売ればフル機能のアプリほど工数かからないから個人でも大企業と勝負できる!って言われてたような気がします。個人とまでは言ってなかったかな。中小企業でも大企業と渡り合えるという言い方だったかも。実際には、そういう例(VBX/OCXを売ってた企業)が無いわけではないけれど、あくまでもニッチであったような気がします。

話を戻して、スマホアプリやウェブサービスで成り立ってるベンチャー企業。数人程度であっても個人開発者に比べれば出来ることが圧倒的に増えるので収益化しやすいってのはあると思います。この場合は開発者自体は一人だったとしても、広報とかサポートとかの人員がチームで行えることのメリットという意味です。

作る人としては「いいものを作れば口コミで自然に広まっていく」ってのをナイーブに信じたいところはあるんですが、現実はやっぱり厳しいわけでして。広告しないとそもそも知ってももらえないので、そこを専任でやる人がいるってのは大きそうな気がします。もちろん個人開発でもうまくいってるケースもありますけれど、たまたまインフルエンサーに拾ってもらって初期広報をボランティアでやってもらえたってケースもあるんじゃないかなぁという気もします。例えば事故物件サイトを作った男の譲れない使命感によりますと、事故物件紹介サイトの「大島てる」は開設から数年は全く無名の存在だったところを竹熊健太郎氏に紹介されたことによって一気に知名度をあげたそうです。そういう「拾うインフルエンサー」が多数居る社会ってのも理想ではありますが、それは宝くじに当たるようなもので最初から期待するわけにもいかないですよね。

サポートにしても、開発者が片手間にやるのと、バイトでも専任が1人居るのでは全然違いますよね。FAQを調べて回答をコピペしたり、「少々お待ちください」だけの一次回答をしてくれる人が居ると開発者としては凄く助かる。だって「そのアプリ/サービスで食べていける」ということは、当然にそれなりにユーザが多数居るわけで、サポートにもコストがかかるわけですから。

チーム化することでメリットも多いけどデメリットもあります。何より、開発者個人が勝手に作ることができなくなって、チームの総意としての開発方針になってしまう。そりゃそれも当然でチームメンバーにとっても食い扶持なんで、開発者の勝手にやられちゃ納得いかないですよね。自分たちにも口を出させてほしいとなる。当然のことです。でもそうすると開発者としては組織の中で開発してるのと一緒になって、何を決めるのにも手続きが必要になるし自由勝手にできなくなるし、やっぱり個人でやりたいの繰り返しになってしまう。広報とかサポートとかを機能単位で外注して開発チームに取り込まないということが出来るのが理想形なのかな。

とかとかいったことを考え始めたとっかかりは「漫画家って編集者っていう壁が存在するけど、今はpixivとかで個人発表する方法もあるよなぁ」ってあたりからだったりします。つまり、個人としての漫画家が誰にも口出しされずに一人で作って作品発表まで出来る手だてが用意されるようになった。それで食べていけてる漫画家はそれほど居ないかもしれないけど、かつてのゼロからは時代は変わったんじゃないかなと。ITによって印刷や配本みたいな手間はなくなったけど、広告とか問い合わせ対応とかはなくなってはいない。だから相変わらず編集者とそのバックにある出版社の存在意義はあるわけなんだけど。

また、編集者というのは壁である一方で最初の読者でもあるから、そのフィルターを通っていることで一定の品質が確保されている面もあります。ぶっちゃけて言えば、一人きりで描き上げたマンガは独りよがりになりやすいってことです。もちろんそうでない作品もたくさんあって、あくまでも傾向としての話ですが。一人きりで描き上げたマンガは描く楽しみはあるだろうけれど、読んで面白いかどうかは別ということです。

アプリやサービスの場合、個人でやっててもユーザからのフィードバックを基に改良し続ければ独りよがりにはならない!って考え方もあるけど、都合よくフィードバックしてくれるユーザってのも実はなかなか居ない。大抵のユーザはフィードバックせずに単に離れていく。熱心にフィードバックしてくるユーザは理想的なユーザというよりは偏ってる場合もあるから、そのユーザの言う通りに作ってたらどんどん偏っていってしまう。とか思ってたら、ちょうどクレイジーなファンなんて記事をみかけたり。良いファンは寡黙で、困ったファンは雄弁で。困ったファンに振り回されて、作品自体が困ったことになるって事態も実際に起こってますよね。有名なところでは「黒子のバスケ」とか。

結局、作品やサービスに対して理想的にフィードバックしてくれるのって編集者だったりチームメンバーだったりするわけで、ユーザに受け入れられるもの=売れるものを作りたいのなら、一人っきりでやるのは難しいのでしょうかね。とにかく自分の自由に作りたいというのなら一人っきりでやってもいいけど、その場合は売れなくても仕方がないということを受け入れる必要があるのですかね。以前、才能で食べることにおける矛盾で書いたようなことが当てはまるのであって、ユーザに受け入れられるものを作るのには一人ではなくチームでやるのが効率がいいってことなんでしょうかねぇ。

少し前のYoutuberのCMに「好きなことで、生きていく」というキャッチコピーがありましたよね。あの「好きなこと」って、仕事内容自体が好きなことって意味の他に、仕事内容を上司やクライアントに指示されるのではなく自分自身で決めるって意味もあると思うんですよ。そういう意味では、Youtuberになるのとラーメン屋を開くのは、実は似通った部分があるということだと思うんですけれどね。

しかし、上司もクライアントも居ないということは、全てを自分で決めて、そしてその結果の責任も自分で全てを負わないといけないといことでもある。そして、そこまでしても実はやっぱりクライアントというのは存在してて、しかもこのクライアントは不満があっても文句を言ってくれず、ただ離れていってお金を落としてくれなくなるという非情なクライアントなわけです。叱責やクレームは無いのでストレスは軽減するかもしれないですけれどもね。

(2018/8/26追記)

うだうだ書きましたが、先人が私なんぞが書くよりもよっぽど綺麗にまとめてくださっていますのでリンクしておきます。

作家と編集の対立構図という一般的な誤解と、エージェントの役割について

というか、私の編集者に対する考え方って、過去の竹熊さんの発言から影響を受けてるというか、ほとんどそのままなんですけどね。