電子書籍の未来の続きの話です。この記事では「いいものが作れる未来がくるといいね」でまとめたんですが、考えてみるとその予想は外れるのではないかという気がしてきました。
というのは、表題に書いたように、技術が大衆化するとレベルダウンが起こるんですよ。例えば建築を例に挙げてみましょう。
古代において、建築物を作れるのは王侯貴族だけでした。庶民は掘っ立て小屋とか竪穴式住居とか高床式住居とかそんなレベルです。しかし、王侯貴族は贅の限りを尽くした建築を建てることが出来ます。そうして出来た建物は1000年持つ建物だったりするわけです。法隆寺とかが現存してますね。
一方、現代では庶民でも建物を建てることが出来ます。もちろん実際に作るのは大工さんですが、それはおいといて。しかし、庶民の作る建物は1000年も持ちません。100年すら持ちそうにない。1000年持つ建物を作ろうとしたらコストが掛かりすぎて割りに合わないわけです。結果、建築技術が大衆化したために、技術のレベルダウンが起こってしまったわけです。今の大工さんは1000年持つ建物を作る技術を多分持ってないのではないでしょうか。だって、そういう技術を使う機会がないわけだから、習得することすら不可能でしょう。
同じような例は他にもありますよね。伝統工芸とかで、昔の方が技術が優れていたものって、ありますよね。需要がなくなったために製造技術が廃れてしまったと。これって、結局コンテンツ制作の話と通じてくるんじゃないかと思うんです。つまり、コンテンツも安く作れるようになると、安いコンテンツでみんな満足してしまい、高コストで高品質なコンテンツの需要はなくなり、ついにはその制作技術まで途絶えてしまう。
コンテンツ制作に関わる一員として、とても考えたくない未来ですが、現実にやってくる未来はそうなってしまうんじゃないかという気がします。どうか、杞憂でありますように。そして、杞憂で終わらすために、自分に何か出来ることが無いか、考えて行動したいと思います。