なんというか、昔はいろんなことについて周りの人がおせっかいをやくという文化があったように思うのよ。でも、今は個性の尊重だとかなんだとか言って、そういうおせっかいをするのがはばかられるような時代になったような気がするのね。
それはそれで、ある意味ではいい時代になったとは思うのよ。例えば、ある事象について、
- 1.積極的に行いたい
- 2.どっちでもいい
- 3.積極的に行いたくない
という三者が居たとして、1は昔も今も問題なく行っていた。2は自分ではそれほど積極的に行いたいと思うわけではないけれど、周りのおせっかいのおかげで行うことになる。3は行いたくないんだけど、同じくおせっかいによって半ば無理やり行われてしまっていた。今は3の人が行いたくないという選択肢を実行できるようになったという意味で、いい時代になったとは思うのね。でも、2の人が結果的に「行わない」方に傾いてしまっているというのは、果たしていいのか悪いのか。本人がそれほど強く望んでいないんだからほっとけば、というのも一つの見識ではあると思うけど、周りのおせっかいのおかげで行ってみた結果、それが非常に良かったという事だってあり得るわけで、そういう意味では機会の損失とも言えるわけで。
で、長々と何が言いたいかというと、自分が少しはおせっかいをやく側に回ってみようかなと思い立ったというわけです。と言っても私の力なんて微々たるものだから、他人を変えるほどのことは出来ないかもしれないけど、そのきっかけくらいにはなれば思うんですね。