個人的に国会図書館補完計画というのをやってます。そんな大げさなものではなく、単に個人の趣味の範疇なんですけどね。
国会図書館補完計画とはなんぞはということを説明したいのですが、そのためには前提となる話をたくさんしなければなりません。まずその話から書きましょう。
そもそも国会図書館とは何かというと、正式には国立国会図書館というんですね。国立が前に付いただけですが。その役割は国立国会図書館法に書いてあって、その第二条は以下のようになっています。
第二条 国立国会図書館は、図書及びその他の図書館資料を蒐集し、国会議員の職務の遂行に資するとともに、行政及び司法の各部門に対し、更に日本国民に対し、この法律に規定する図書館奉仕を提供することを目的とする。
つまり、第一義としては国会議員が政策立案するためにあるんですね。そのための資料を収集しています。その収集した資料は国会議員専用というわけではなく国民にも開かれていて、日本国民なら自由に利用することが出来ます。これが第二義かな。実際、多くの研究者や文筆家やジャーナリストが国会図書館で資料を閲覧して調査を行っていますね。
これはあまり明文化されてはないのですが、第三義として現代の資料を未来へ届けるという役割もあります。資料の保存期間は永久ですし、書庫も基本的にはその設計をなされていますね。地元の公立図書館は古くなった資料は除却されるわけですが、国会図書館においてはそのようなことはなされません。なので何百年もあとの研究者が現代のことを調べようと思った場合に国会図書館の資料が使えるようになるわけです。
そうした国会図書館の役割を実現するために、納本制度というのが定められています。日本国内で出版された資料は全て国会図書館に納本する義務があるのですね。
なるほど、では古い書籍でも国会図書館に行けば全て現物が閲覧できるのだなと思うわけすが、ここで理想と現実のギャップが現れます。実際には全ての書籍が国会図書館に所蔵されているわけではないのです。
国会図書館に所蔵されていない理由は様々ですが、もっとも大きな理由は出版社が納本義務を果たしていないことでしょうか。義務があるといっても罰則はありませんし、取り締まりも行われていません。小さな出版社の中には納本義務があることを知らなかったりもするかもしれません。
もちろん大半の出版社は納本義務をちゃんと果たしているわけですが、それは100%というわけではありません。会社として納本義務をさぼっているところもあるでしょうし、担当者がうっかりと忘れていたってこともあるでしょう。ともあれ、現実問題としてそれなりの規模で蔵書漏れが発生しているわけです。
これは数としてはそれほど多くないとは思いますが、破損による除却もあるでしょう。国会図書館は貸し出しを行っていませんし閉架式ですから利用者が自由に資料を閲覧も出来ません。しかし手続きをすることで館内で資料を閲覧することは出来ますから、閲覧を繰り返すことで資料が破損することもあるでしょう。閲覧に耐えられなくなった資料は残念ながら除却されていくんでしょうね。
あってはならないことですが盗難もあります。古書店でもなかなか出回っていない貴重な資料をなんとか手元に置いておきたいと思うマニアがあるわけです。気持ちはわかりますが、だからって国会図書館の資料を盗んではいけません。完全に犯罪です。資料をまるごと盗むのではなく、欲しいページだけを切り抜くということはもっと頻繁に行われてるそうです。許されないことですが、現実的にはあるわけですね。そうした切り抜きを繰り返された資料は使い物にならなくなるので、やはり除却されていくことでしょう。
様々理由はありますが、日本国内で出版された書籍であっても、残念ながら現時点で国会図書館に所蔵されていない資料はそれなりにあるということです。大変残念なことですが。
ところで国会図書館に所蔵されていない資料ですが、古書店では普通に流通しているものもあります。もちろん古書店でも稀少で何十万円何百万円もの値段がつくものもあります。一方で豊富に流通していて100円200円程度で取り引きされているものもあります。古書店では安価に流通していながら、一方で国会図書館には所蔵されていない。このギャップに気が付いたところで、国会図書館補完計画を思いついたのです。大変長い前置きでしたが、ようやく表題にたどり着くことが出来ました。ああしんど。
具体的な活動内容はこんな感じです。まず古書店のオンラインショップで安価な本を適当に検索します。高価な本も対象に出来るといいのですが、個人の趣味の活動ですのでそこまでお金がかけられてません。すいません。
そうして検索した書籍を1冊1冊国会図書館に所蔵されているか検索します。こちらは国立国会図書館サーチ(NDLサーチ)で調べることが出来ます。今は手作業でやってますが、ある程度自動化できるといいなぁと思ってますが、なかなかそこまで手が回っていません。
ともあれ、こうして調べて国会図書館で所蔵されていない本を古書店で注文します。届いたら、それを国会図書館に寄贈するというわけです。あくまでも古書店で安価に流通している本だけが補完されていくわけですから、全ての欠落を補完は出来ません。それでも、なにもしないよりはましだろうなということでやっている活動です。そもそも国会図書館に収蔵されていない資料も膨大にあるわけで、その全ての私個人の活動で補完しきれるものではありません。完全に補完できないからやる意味がないと思うのでしたらそれはその人の価値観でしょうけれど、私はそうは思わないので、この小さな活動を細々とでも続けていければなと思っています。
ところで寄贈しているのは安価に流通しているものとしましたが、具体的にはコミックを中心に活動してます。多分、どうせ補完するならもっと立派な本にしろと思う人もいると思います。それはそれでその人の考え方なので私は非難しませんが、一方で私の考え方を非難される言われもないと思っています。
個人的な考えですが、人は立派な考えや活動だけで成り立っているわけではりません。高尚も低俗も、全てを含めたのが現代の人々の営みです。高尚だけで現代の全てを語ることは出来ません。また、なにが高尚で何が低俗かというのも一律には決まりません。マンガの分野で言えば、手塚治虫などは高尚な部類に入るとは思いますが、かつては低俗で焚書の対象になっていたのも手塚作品です。であれば現代において低俗であるとされている本だって将来評価が変わることがないとはいえません。なので、現代の評価で残すべき資料を選別するべきではないというのが私の考えです。