問題を可視化するためなら何をやってもいいのだろうか

2024/3/31作成

障害者、といっても主に車いすの方が公共交通機関や映画館で利用が阻害されたということが時々ニュースになります。少し古い話になりますが、乙武さんがエレベーターの無いレストランで利用拒否されて炎上した件も同種でしょうか。

障害者側の意見として、健常者はいつでもどこでも自由に移動したり店舗を利用できるのに、なぜ障害者はそれが出来ないのかと仰います。その主張自体は理解できるのですが、問題はそれを可視化するために示威行動をとることかなと。乙武さんの例はどうかわかりませんが、他のニュースになった件はたまたま利用しようとしてトラブルになったというよりも、利用できないだろうとあらかじめ予測したうえで利用できなかったことを問題視しようとしているようにも見える。そうだとしたら、その行動は果たしてどうなんだろうか。

私は知らなかったのですが、1970年代に川崎バス闘争というのがあったそうですね。当時車いすの方は路線バスを利用できなかったそうです。それに対し多数の車いすの方が結集して路線バスに乗り込もうとして運転手とトラブルになり、事実上のバスジャックを行ったと。この事件の影響もあって路線バスでの車いす利用状況は改善したこともあり、障害者界隈では英雄譚として語られているそうなんですが、その時に路線バスを利用しようとしていた一般乗客にとっては迷惑なだけの話ですよねぇ。

川崎バス闘争にしてもですが、前段階としてバス会社や行政との交渉は長年行っていたそうです。しかしなかなか進展しない中で、社会に対して分かりやすく問題を示すために行動に出たと。その理屈はわからんでもないけど、では問題を可視化するためであればどんな行動も許されるのでしょうか。イスラム社会に対する差別問題を可視化するためにジェット機を乗っ取って高層ビルに突っ込ませることは正当化出来るのでしょうか。もちろんそんなテロ行為は正当化出来ないのですが、では9.11と川崎バス闘争との違いはどこにあるのか。というのが今私がうまく切り分けられなくてもやもやしているところ。

この疑問ってストライキにも当てはめることができるんですよね。国鉄はしょっちゅうストをしていましたが、ストで困るのはそりゃ経営側も利益が減って困りますが、一番困るのは国鉄の利用者なんですよね。いわば利用者を人質にとった交渉と言えなくもない。ストライキはもちろん法律的にも認められた権利です。それを禁止することは現代日本では間違いでしょう。それはいいんですが、ではストライキはどういう理屈で認められているのか。川崎バス闘争は認められるのか。最近の車いすの方の示威行動はネットの反応を見る限り賛否両論で無条件に認められているわけではなさそうですね。

念のために書きますが、車いすの方を含めて問題は解消した方がいいです。車いすの方の自由な移動の権利は確保されるべきです。それは間違いないんですが、そうした社会を実現するための手段はどうあるべきなのかなという話です。平和的な交渉で行われるのが一番いいですし、もちろんみなさんファーストチョイスとしてはそうしているとは思うのですが、交渉だけではいつになったら社会が変わるか分からないとき、時には炎上という手段を使っても一気に社会を動かすことは果たしてよいのかどうか、というような話です。