このサイトでもさんざんトンデモ理論について触れてきましたが、実はそのトンデモ理論にもメリットはあるんじゃないかって話です。いやまあ、だからってトンデモ理論大歓迎、ばっちこーいってわけでもないんですけどね。
メリットというのは、トンデモ理論に対して言論で反論することによって議論が深まることなんですよ。例えば、日本では第二次世界大戦後には平和が大切だということで、戦争と平和に関する議論は一切してはならないという風潮になり、平和についての議論が深まらなかったという言説を聞いたことがあります。言われてみれば確かになと。平和は疑いのない真理であって、それに対して疑義をはさむことはそれ自体がタブーという風潮はありますよね。近年でも丸山穂高議員が戦争で北方領土を取り戻そうという発言をした際に、その発言自体を社会で封じる方向で動き、なぜ戦争がいけないのかという議論は行われなかったように思います。
もちろん戦争はダメなんですよ。戦争を肯定しようなんて思ってないですよ。でもですね、戦争反対を真理に据えてしまって反論を封じ込めてしまってたら、それはもう宗教と変わらないじゃないですか。平和教という宗教をやりたいならそれはそれで勝手にやればいいんですが、社会全体としてはそれではいけないですよねって話です。なぜ戦争はいけないのか、どうして戦争は行われるのか、どうやったら戦争を防げるのか、って方向に議論を進めていかないと。そういう意味では、例えば8月15日に戦争特番が毎年繰り返されますが、そこでのテーマは「国の偉い人が勝手に始めた戦争によってひどい目にあった民衆」という視点ですよね。今やってる戦争ものの映画やドラマも全部そう。実際には民衆も戦争を支持していましたし、ひどい目にあったのはアメリカ兵もだし海外の民衆もなんだけど、その方向での番組は作られない。そりゃま視聴率悪そうですから、作られないのも当然かもしれませんけれどもね。
時間があるときにはトンデモ理論に対して一つ一つ反論していって議論を深めていくことが出来ます。ただ、一刻を争う場合ってのもあるんですね。今まさに能登半島地震についてはそう。これに関しても日々デマツイートが繰り広げられてて、それによって助かる命が助からない事態も起こりうる状況になっている。そんな状況では言論の自由に対して一定の制限を課すのも必要なことかなと思ったりもするけれども、でもやっぱり言論規制は劇薬過ぎるので躊躇する。そして一刻を争う状況ではないときに関しては、よほどのことが無い限り言論の規制は行われないことが望ましい。規制ではなく批判による対処が望ましい。そういう風に考えます。