言論の不自由

2023/12/19作成

はてな運営はいい加減はてブをなんとかしろ

大変長文の記事なので乱暴に要約するのははばかられるのですが、個人的に特に強く感じたのが「はてブで反論しても既にスターついたコメントとの差が埋まらない」ってところかなと。これについて少し思うところを書いてみます。

話の流れとしては、まず自分がブログを書く。それに対して誤読したコメントがはてなブックマークにつき、スターを集める。誤読されてるのが嫌なのではてなブックマークに反論を書くんだけど、スターが付かないので反論が全然表示されない。つまり反論できない仕組みになっていると。これがもしも2ちゃんねるであれば、スレに乗り込んでいって反論すれば元の誤読コメントと同じくらいの影響力を発揮できるのできちんと反論できると。

これははてなブックマークの仕様によって発生していますが、同様の問題はモデレート制をとってる掲示板全般に言えることかなと思います。例えばYahoo!コメントなどでも同様のことは起こりますよね。AmazonやGoogleマップなどの口コミもそうかな。誤情報でもいいねを集めた口コミが優先的に表示されたりもする。

X(旧Twitter)でも反論をレスとして返すことが出来ますが、タイムラインにはポスト(旧ツイート)単位でしか表示されないので、反論レスは必ずしもタイムラインに表示されないという問題がありますね。最近はこれに対してコミュニティノートという対策が追加されましたので、少しは緩和されるようになったのかなとも思いますが、コミュニティノートが付くまでにはタイムラグがありますので、人によっては反論を目にしないままになることはありそうです。

この発言による影響力の差ってのは、言論の自由が構造的に持ってる問題かなぁという気もしましたので、以下に書きます。

言論の自由というのがあります。何を言うのも自由です。間違ったことを言うのも自由です。ガンはキノコで治るとか、ワクチンは人類殲滅計画だとかを発言するのも自由です。こういった間違った上に有害な発言というのは禁止した方が短期的には社会的メリットがありそうですが、少なくとも今の日本はそうはなっていません。個人的にはもやもやしてますけどね。

なんでこういった間違った発言も自由なのかというと、その理由の一つが反論も自由だからです。間違った発言に対して間違っているという指摘が入る。元発言者がその指摘を受け入れて間違った主張を取り下げれば一番いいのですが、そうはならなくても発言を聞いた大衆がそれぞれの発言を比較検討してより正しいと思えるものを受け入れていけば社会全体としては間違った方向に進むことはないという仕組みですね。

また、訂正発言自体にも間違いが含まれることはあります。それに対してさらに訂正が入り、それを繰り返すことで問題点が整理され、より真理に近づいていくことが出来る。言論の自由が目指している社会というのはこういうものですよね。

ところが、はてなブックマークをはじめとしたモデレーション制の掲示板/SNSでは、この批判の仕組みがうまく回りません。発言ごとに表示に差が付く仕組みになっているため、反論がうまくすくい上げられないのですね。結果的にそこの言論の場では誤情報が誤情報のままとなって放置されてしまう。モデレーション制でなくても程度問題であって結局批判の仕組みが回らないことはあるのですが。

つまり、言論の自由自体は存在しているけど、その言論がどこまで読まれるかの保証はどこにもないというのが現状と。言語化してしまうと、そりゃそうなんですが。無理やり読ませるわけにもいきませんしねぇ。

有名人などの声の大きい人の発言は広く拡散されますが、それに対して無名の個人が反論してもなかなか声が広まりません。SNSではいいねやりポストなどの仕組みで一般人の声も広まりやすくなってその点は社会が良くなった点なのですが、一方で誹謗中傷なども広まりやすくなっていて負の側面もあると。

結論として言えることは特にないというか、困ったなぁくらいのことですかね。私は集合知を信じている人間です。言論の自由による無限の批判の繰り返しで真理に近づいていけることを信じているのですが、言論の場の仕組みによってその無限の批判の繰り返しが必ずしも機能しないのだなぁということを改めて感じたという次第です。