週休二日じゃ休み足りないので週休三日にしろという言論がネットには溢れ..
世間で週休3日欲しいと言われてるけど、その前にまず俺を週休2日にしてからだろうという増田。まあ気持ちはわからんでもないけど、いくつもの点で間違ってる。むしろこのような主張は社会全体の改善を停滞させてしまう問題をはらんでいる。
まず一つの問題は、事象は独立しているということ。世間で比較的恵まれた環境で働いている人が週休3日を取得できるようになることによって、増田が週休2日を取れるようになることを阻害することは一切ない。そもそも全く別の会社だからね。
これが共有のリソースの配分の問題だったら、増田の主張にも一定の理はある。共有のリソースだったら、まずより困っているところから配分しようというのは納得のいく話だし、どこにどれくらいリソースを配分するかってのは政治の役割だ。しかし、そもそもリソースは共有されてない。
増田は俺が不幸だから幸福な奴がより幸福になるのは許せないということについて。感情論として理解はするけれど、増田よりもさらに不幸な人はたくさんいる。週休1日すら取れない人から、まず俺らを優先しろと言われたら増田は喜んで受け入れるだろうか。
この増田のような主張が行われるのは嫉妬からだと思う。嫉妬は人間の根源的な感情の一つだから、世の中から嫉妬をなくすことは出来ない。ただ、嫉妬を真正面から受け止めていると、世の中の改善が進まなくなってしまう。嫉妬する感情に寄り添う必要はあるけれど、受け入れる必要はない。
例えば直近だと岸田首相の給与引き上げ法案がやり玉にあがった。岸田首相の給与は税金から支払われるから、税金という共有のリソースの配分の問題だという意味では正しいけど、岸田首相の給与を引き上げられなかったことで、おそらく社会には多くのマイナス影響が広がると思われる。
この法案は岸田首相一人だけの給与問題ではない。大臣や国会議員など特別職国家公務員の賃上げ法案なので、結構な人数に影響する。そして、こうした比較的恵まれた目立つ人の給与を上げることが叩かれると、民間を含めて給与引き上げに対して控えめになってしまう影響が考えられる。結果、日本全体として給与が抑えられる圧力になってしまう。
長らく続いたデフレからの脱却で全体の給与をあげようという機運があるなかで、まず上から率先してあげようというのは間違った話ではない。というか、おそらく岸田首相の意図としてはそういう部分もあっただろうと思う。でも野党と世間は、岸田首相を強欲たぬきとして叩いてしまった。その構図の方が受けるからね。でまあ、世間に受けたはいいけれど、結局誰の給与も上がらなくなって、みんなが不幸になりましたという結果に陥ろうとしている。民意がそう導いたという意味では民主主義では正しいのかもしれないけど、それでいいんだったら政治なんて必要ないよね。