体罰はなくせるか

2013/4/11作成

高校のバスケットボール部のキャプテンが監督から体罰を受けて自殺したりとか、女子柔道のオリンピック強化選手が匿名でコーチを体罰で告発したりとかで、体罰が話題になることが増えてきました。

ちなみに、以前も書きましたが体罰は犯罪です。愛情だとか指導だとかは、暴力を振るう側の一方的な言い訳であって、理由になっていません。犯罪を犯した者は刑事訴追されて、粛々と現場から追放していくべきだと思います。

それはそれとして、なんで体罰が起こるのか。これも、いじめと同じで人間が根源的に持っている性質によるものではないかと個人的に考えています。根源的に持っている性質だからといって体罰を容認するわけではありません。先ほども書いたとおり体罰は犯罪であって、許されるものではありません。犯罪を犯した者は相応の刑罰を受けるべきですし、学校なり柔道界なりから追放されるべきだと思います。

話を戻して、体罰は人間の性質によるものだと書きました。どういうことかというと、人は人間関係において圧倒的な立場の違いがある場合に高圧的な態度をとってしまうのではないかと思うのです。高圧的な態度には暴力も含まれるということです。

興味深い実験の話を聞いたことがあります。学生をランダムに二つのグループに分けて、一方のグループを囚人役。もう一方のグループを看守役に割り当てました。ランダムに分けましたので、囚人役にも看守役にも性格などに偏りはないはずです。そして、囚人役の学生を実際に牢屋に入れて、看守役の学生が監視するという実験をしたそうです。

繰り返しますが、囚人役と看守役はランダムに決められていますので、性格に偏りはありません。それに、囚人役の学生が実際に犯罪を起こしていたわけでもありませんし、看守役の学生が特に粗暴というようなこともありません。そういう性質の学生もいるでしょうが、ランダムに役割を決められていますので、どちらかに偏っていることはないはずです。

その実験の結果どうなったかというと、囚人役の学生はだんだん無気力で従順になり、一方看守役の学生は尊大に粗暴になっていったそうです。時には軽い暴力をふるったりとか。

つまりですね。人間は、立場に圧倒的な差があると、その立場にのっかってしまうという性質があると思うんですよ。冒頭にあげた事件のバスケ部のキャプテンと監督の間とか、ナショナルチームの選手とコーチの間にも、やはり圧倒的な立場の差があると思うんですね。そこで、その立場の差を利用して体罰をふるうことが可能である状況になると、それにあらがうことができない人がいると。いや、学生の実験の通り、多くの人がそこで実際に暴力をふるうところまで行ってしまうのかもしれない。

ところで女子柔道の事件の時に谷亮子が「私は体罰を受けていない」とコーチ陣を擁護する発言をしていましたが、そりゃ当然です。コーチは選手よりも立場が上ですが、国民的人気者である田村亮子の立場はコーチより上なんです。だから、田村亮子に体罰をふるえるコーチなんているわけがありません。よって、この場合に谷亮子の証言には意味がありません。

さて、体罰が人間の性質によるものだとしたら、それを防ぐことは不可能なのでしょうか。そうかもしれませんが、方法はなくはないとも思います。立場の差がある状況というのはどうしても生まれますので、それを防ぐことは出来ないと思います。ただ、体罰を行うには立場の差があると同時に、それが人目に付かない密室であるという条件もあると思うのです。公開の目にさらされたところで暴力をふるうバカはそうそう居ません。体育館だったり教室だったりと、ある種の密室の中で第三者の目に触れないからこそ体罰をふるうことができるのではないでしょうか。

ということは、体罰をなくすにはそうした密室を減らすことが効果をあげるかもしれません。教室では担任一人に任せるのではなく、副担任を置いたり、教頭や主任が定期的に巡回したりとか。部活動も監督一人だけに指導を任せるのではなく、複数の教師の目が届くようにすれば、自然と体罰は経るのではないでしょうか。ナショナルチームならマスコミの取材を常時OKにすればどうでしょう。マスコミの前で体罰をふるうコーチがいたとしたら、それはかなりびっくりだと思うのですが。