オタクときどきサックス

2023/9/11作成

この文章はもともと同人誌として発表しようと思って書いていたものです。しかし、諸般の事情で同人誌としては出せないことになってしまったので、供養としてここで公開することにします。普段と文体が少々違うのはそのせいですが、気にしないでやってください。って、そもそも文章力低いから文体も普段からとっちらかってるんですけどね(汗

はじめに

鈴木智彦さんという方がいらっしゃいます。主にヤクザ関連のルポを得意とするライターさんで、ヤクザ関連の著作がたくさんあります。

いつもヤクザとやり合っている暴対の刑事さんは見た目もヤクザになるそうですが、同じくヤクザと接点のある鈴木さんも見た目はほとんどヤクザです。ヤクザというと語弊がありますが、まあ強面のおじさんです。人物は全く怖い人ではないと思うんですけどね。

そんな強面の鈴木さんが、50代になって突然に「ピアノでABBAの"ダンシング・クイーン"を弾きたい」と決心し、実際に弾けるようになるまでの様子をセルフルポしたのが「ヤクザときどきピアノ」という本です。

この本ですが、めちゃめちゃ面白いです。読み物として抜群に面白いのですが、私個人にとって重なる部分があって大変共感もしたのです。というのは、私もアラフィフになって突然にサックスを始めたからです。

このサックスがですね、めちゃめちゃ楽しいんですよ。夢中になって吹きまくり、とまでは残念ながらいきません。仕事もあるし、他の生活もありますからね。でも休みの日には大抵サックスの練習していますし、サックスはじめて6年になりますが、今でもずっと楽しい。

こんな楽しいモノを今まで知らなかったのは勿体なかったなと思いますが、一方でこの年齢になってから始めたからこそ楽しめている部分もあるのかなとも思ったりもします。

この本は「ヤクザときどきピアノ」に感銘をうけて、自分のサックスとの体験を書き出してみたものです。おっさんとサックスのお話し、よろしければおつき合いください。

はじまりは羽金

我が家は夫婦共働きです。そして子供が二人居ます。平日昼間は子供たちは保育園や学校に行っていますが、その時間はフルタイムで働いています。そして夜になったら大人二人がかりで家事と育児で手一杯です。

子供が産まれてから10年以上そんな生活を続けてきたわけですが、子供たちが大きくなってくると、さすがに少しは手が掛かることが減ってきます。少しの間なら大人一人でもなんとかなるんじゃないかということで、交代で羽を伸ばそうということで出来たのが羽金という我が家のルールです。つまり、金曜の夜は交代で一人で自由に過ごしていいよということですね。もちろん元ネタはバブル華やかなりし頃にはやった花金です。

それまでも夜にワンオペになることがなかったわけではないです。頻繁にではないですが、飲み会とかありましたからね。でも、その場合は残った一人にものすごい負担がかかるため、事前の調整と準備が必要ですし、当日も気軽に楽しんでくるというわけにもいきませんでした。羽金は、そうした重い制約を外れて、もっと気軽に楽しめるものなんですね。

そうして始まった羽金。当初は普通に遊びに行ってたんですが、せっかくだから何か変わったことが出来ないかなと思って思いついたのがサックスの体験レッスンです。音楽教室というと子供向けが主流ですが、大人向けのものも実はたくさんあるんですよね。

なぜサックスかというと直接的には単なる思いつきです。悪く言ってしまえば悪ふざけでもあります。こんなことをしたら面白いんじゃないかなという、なんとなくの思いつきですね。

一応布石はいくつかあったんです。一つは、その少し前に近所のジャズ喫茶のライブに行ったこと。これもまた単なる思いつきで行ったんですけどね。特に誰の演奏が聞きたいということがあったわけでもなく、たまたま予定が合った日に行って、その日に演奏していたのがサックスメインだったと。んでまあ、サックスってかっこいいなぁという印象が刷り込まれました。

もう一つの布石は、昔の同僚が元サックス奏者だったということです。同僚になったときにはもう引退されていたので、演奏を聴いたことはありません。でも、時々昔話を聞くことはありました。その同僚の存在が自分とサックスの距離を少しだけ近づけていて、先ほどのライブがあってさらに近づいたと。

ちなみにですが、この時点まで私は音楽の経験は全くありません。学校の授業で習ったのと、あとは飲み会のあとにカラオケに行って歌うくらいです。楽器だって、学校の授業でリコーダーを吹いたことがあるだけです。要するに全くの素人ですね。そんな私ですから、音楽教室の体験レッスンに行こうと思ったのも、本当に何かたまには変わったことをしてみたいなというだけの話です。言ってしまえば、バンジージャンプ飛んでみるとか、そんなのと同列だったんですね。

ともあれ、音楽教室です。羽金ですから金曜の夜である必要があります。ぐぐって、金曜の夜にやってるサックスの体験レッスンを探し予約します。そしていよいよ当日。仕事が終わって音楽教室にやってまいりました。人生初の音楽レッスンですよ。

講師はエイジ先生といいます。特に指定したわけでもありませんので、たまたまスケジュールが合ったのがエイジ先生だったわけです。30分の体験レッスンが始まりました。

とにかくこちらは全くの素人です。サックスという楽器がどういう楽器かも分かっていません。今から自分が習う楽器がアルトサックスであるということすらこの時点では分かっていませんでした。まずは楽器を組み立てていくのですが、リードをくわえて湿らせます。サックスという楽器がリードを使うということすら知りませんでしたし、そもそもリードが何かも分かってませんでした。ある意味怖いモノ知らずだなと、今この文書を書いていて自分でも思います。

サックスが組み立てあがってストラップにひっかけて構えます。アンブシュアという唇の形の説明を受けていよいよサックスを鳴らします。

当たり前ですが、いきなり音は出ません。が、サックスは管楽器の中では比較的音が出やすいものらしいんですよね。何度か挑戦するうちに、ようやく音が出ました。出た。出たよ!

ただ単に音が鳴っただけです。演奏とはとても言えません。単音で鳴っただけです。なのになんですかこの衝撃。凄い。凄すぎる。なんというか、脳汁がどっぱどっぱ出ます。出まくります。多分、今私の脳内には脳内麻薬出まくりです。警察官が目の前に居たら逮捕されるかもしれません。それくらい快楽指数がうなぎ登りです。ただ音が出ただけなのに、ナニコレ。凄い。凄すぎる(2回目)。

次にドレミを習います。サックスやったことがある人なら分かると思いますが、低いドは音が出ません。難しいんですよね。レから高いドまで順番に。ここは意外と簡単というか、リコーダーと運指が似てるんですよね。いや、もしかしたら管楽器に共通の話なのかもしれませんが。ともかく、昔の音楽の時間にやったリコーダーに近い運指でドレミを吹くことが出来ました。当然、この時点でも脳汁出っぱなしです。警察に捕まるでほんま。

体験レッスンは30分だけですからもう終了の時間です。最後にエイジ先生が「サックスはこうして歌うように演奏できるんですよ」と模範演奏してくださったのですが、これが凄すぎます。ほんとに歌うように、多彩な音がするのです。これで完全にノックアウトです。凄い。過ごすぎる(3回目)。

こうして夢のような30分の体験レッスンが終了したのでした。この時点ではまだ体験して終わりの積もりでした。いや、ちょっと怪しいな。体験レッスンが始まる時点ではそうでしたが、終わった時点ではこれで終わりとは思ってなかったのかもしれない。

レッスン開始

夢のような体験レッスンが終わりました。一度だけ、体験するだけのつもりで行ったわけですが、心はそうはなりませんでした。自分がサックスを鳴らした時の脳汁が出まくった体験。そして最後にエイジ先生が聞かせてくれた夢のような模範演奏。あれが自分でも出来るようになりたい。そう思ってしまいました。ええ、つまりはエイジ先生の30分の営業活動が奏功したわけです。

レッスンを受けるとなると、月に3回というコースになります。これまで羽金の枠は月に1回でしたから、頻度が全然違います。また、ほとんどの週末をレッスンに通うとなると、私一人だけが羽金になってしまいます。ということで随分話が違うじゃないかってことなんですが、レッスンを受けたい気持ちの方が強くなってしまったので妻に相談。なんとか許しを得ることが出来ました。

レッスンを受けることが出来るとなると、次は教室探しです。もちろんエイジ先生から習うことが出来れば一番いいんですが、教室が少々遠いんですよね。この教室は金曜の夜に体験レッスンをやっていたから選んだだけであって、通う場合の利便性などは一切考慮していませんでした。

ということで職場の近くで探したところ、徒歩5分くらいのところに音楽教室がありました。これくらい近いと、仕事が終わってから移動するのも楽ですし、なんなら昼休みにレッスン室を借りて一人練習することもできそうですよね。ほぼこの教室に通う積もりで、体験レッスンを申し込みました。いきなりレッスンを申し込んでもいいんですが、相性もあるかもしれませんので念のためですね。

いよいよ体験レッスン当日。こちらの教室ではグループレッスンでしたので、既に受講してらっしゃるグループに混じって体験させて貰うことになりました。他の方も私と同じような年代の男性ばかりです。女性や子供が混じってないのは気が楽でいいかもしれませんね。

そうして始まった2回目の体験レッスンなのですが、しかしこれが正直言って期待外れなものでした。先生がよくないのか、グループレッスンだからよくないのかはわかりません。そんなにあちこちでレッスンを受けたことがあるわけじゃないですからね。この時の体験レッスンでは、課題曲を全員で吹いてみて、一通り吹けたら次の曲に進んでいく。ただそれだけ。そこに脳汁出まくるような演奏の感動も何もありません。ただサックスを吹くという作業があるのみ。

実際には別の回にはもっと楽しい時間もあるのかもしれません。私が体験レッスンを受けた日がたまたまイマイチだった回ということもあるでしょう。でも、他の日がもっと良いかもと期待して受けるにはリスクも大きいですし、コストも掛かりすぎです。先生には大変申し訳ないのですが、正直言って私はここでレッスンを受けたいとは思えなかったのです。

ここでレッスンを受けないならどうするか。他の音楽教室をさらに探すという方法ももちろんあります。でも、それで当たりの先生を捜し当てる保証はどこにもないですよね。いくつもいくつも体験教室を渡り歩いても、いつか理想の先生に出会える保証などどこにもありません。そして、理想の先生には既に出会っているわけですよ。エイジ先生という。エイジ先生に習うことの障害は教室が少々遠くて不便なだけ。であれば、不便なのは我慢してエイジ先生に習えばいいじゃないかというのが私の出した結論です。

こうして、レッスンの日には仕事が終わってから電車で教室があるところまで移動するという少々ハードな日が月に3回あることになったのです。

サックスという楽器

サックス、正しくはサクソフォンは19世紀にベルギー人のアドルフ・サックスによって発明されました。というのは、どのサックスの本にも冒頭に書いてますね。そもそも楽器の発明者と発明年がはっきり分かってるのは珍しいんですよね。大抵の楽器は古代から少しずつ改良されて発展してきているので、誰がいつ発明したとははっきり分かりませんから。それに対してサックスは比較的近年に発明されたために、はっきりと分かっているのです。

次に書いてあるのは、サックスは木管楽器であるということです。えええ、と驚く人も居ると思います。というか私はサックス始めるまで知りませんでしたので、とても驚きました。だってサックスって金属で出来てるじゃないですか。なんで金管楽器じゃないんだと。

種明かしをすると、これは木管楽器・金管楽器の命名が悪い。もともとは素材が木か金属かで分類されていたのでしょうけれど、現代では木管楽器・金管楽器の分類は発音の仕組みで行います。

リップリード、といっても私自身は金管楽器やったことないので体験はないのですが、唇を振動させることだそうです。この唇の振動を増幅して音にするのが金管楽器で、リップリード以外のすべての管楽器は木管楽器なのだそうです。サックスはリードという木片を使用しますので、木管楽器ってことですね。他にもフルートなども大抵金属製ですが木管楽器に分類されます。原理的には逆のパターンで木で出来た金管楽器もあり得ることになりますが、実在するのかどうかは知りません。

リードというのは葦のことです。人間は考える葦であるの葦ですね。日本では葦というとすだれの材料などを想像しますが、リードに使われるのはだいぶ違う種類で、竹ようなぶっといダンチクというものだそうです。このぶっといダンチクを削ってリードという木片を作ります。自作する奏者の方も居るそうですが、出来上がったモノが楽器屋さんに売ってます。サックスはシングルリードなので、このリードを1枚マウスピースに付けて吹くわけです。シングルリードの仲間にはクラリネットなどがあります。リードを2枚使う楽器もあって、こちらはダブルリードといい、オーボエなどがあるそうですね。リードを使わない管楽器もありまして、フルートなどはエアリードですね。

サックス自体について。サックスは音域によっていくつかの種類に分かれています。もっともよく使われているのがアルトサックス。私が使っているのもこれです。艶やかな音色が特徴です。次に人気があるのがテナーサックス。アルトサックスよりも一段低い音域で、渋い音色です。アルトサックスよりも一段高い音域としてソプラノサックスがあります。サックスというと180度曲がって上を向いたベルが特徴ですが、ソプラノサックスは真っ直ぐになっています。でも上向きベルのカーブドソプラノサックスもあったりします。テナーサックスよりも一段低い音域としてバリトンサックスがあります。一般によく使われているのはこの4種類ですが、ほかにもソプラノよりさらに高い音域のソプラニーノ、バリトンよりもさらに低い音域のバス、コントラバスなどがあります。

などなど、サックスについて語り出しても結構きりがありません。そして私も最近始めたばっかりの素人なので知識も付け焼き刃でしかありません。より詳しく知りたい方は専門の書籍などをご覧くださいませ。

練習場所

レッスンは月に3回、1回30分しかありません。それだけだとなかなか上達しませんし、何よりも自分自身がもっとたくさんサックスを吹きたいですから、レッスン以外でも練習がしたいところです。

まず最初に利用したのは、音楽教室のレッスン室レンタルです。レッスンは金曜の夜だったのですが、21時と遅い時間でした。仕事が終わって音楽教室に移動しても、2時間くらい間が空いていたんですね。そこでその時間にレッスン室を借りていました。部屋だけ借りて一人で練習するわけです。音楽教室のレッスン室を借りるメリットは、サックスを無料で借りれることでした。この時点では私はまだ自分のサックス持ってなかったですからね。ああ、無料なのはサックスだけですよ。レッスン室の利用料はもちろん別途かかります。

その後、中古ですがマイサックスを手に入れました。YAMAHのYAS-280というモデルです。入門者向けの、一番安いモデルです。しかも中古です。それでも10万円くらいするんですけどね。

マイサックスを手に入れましたので、レッスン室を借りなくてもいつでもどこでも練習し放題、というわけにはいきません。これは楽器をやってる人共通の悩みでしょうが、自宅ではまず楽器の練習って出来ないんですよね。音が近所迷惑になりますから。特にサックスなどの管楽器は爆音ですので、自宅で練習したら大問題です。ここでみなさん悩んでるわけですね。

一番の解決方法は防音室を作ることです。一番お金掛かりますけれども。自宅の一室を防音仕様にリフォームするか、電話ボックスのような一人用防音室を購入して部屋に置くかになります。リフォームの方は調べる気にもなりませんが、多分何百万円もするでしょう。とても手の届く金額ではありません。防音ボックスはリフォームよりは安いですが50万円くらいします。これも手が出ませんね。ネットを探すと10万円くらいの安い防音ボックスも売ってるのですが、レビューを見ると防音性能は皆無とのことで意味はありません。プロの演奏家であったり、プロを目指す音大生などは防音室を用意するわけですが、こちとら趣味でやってる素人です。とてもそこまでのお金はかけられません。

楽器をやってる人は皆さん悩んでいると書きましたが、悩んでない楽器の人もいます。それは電子楽器系の方々。ヘッドホン繋げば自分にしか聞こえませんからね。電子楽器も今はいろいろありまして、電子ピアノ電子バイオリンや電子ギターなんてのもあります。そして電子サックスもあります。あるのですが、これもやっぱりお高いんですね。10万円くらいしますから、サックスをもう一台買うようなものです。

それでも自宅でいつでも練習できるのは魅力なんですが、吹奏感や運指のタッチがサックスと全く同じというわけでもないという問題もあります。楽器を完全に電子サックスに乗り換えてしまうなら別ですが、メインはあくまでもサックスであるというのなら、その違いも気になりますよねぇ。

消音器を使うという方法もあります。金管楽器の場合はベルに消音器を取り付けることでかなり音量を下げることが出来るそうですが、木管楽器であるサックスではこの方法は使えまえせん。なぜ木管楽器はダメなのかはよく知らないのですけどね。木管楽器は管体の途中のホールからも音が漏れるからですかね。金管楽器はそういうのが無いのか。結局よく分かってません。

サックス用の消音器として、サックス全体を覆う箱のようなものもあります。これまた結構なお値段がするのですが。そのほか、ベルにタオルを詰めたりとか、布団をかぶったりとか、みなさんいろいろ工夫してらっしゃいます。YouTubeなどで紹介されてたりしますので、検索して見てみてください。面白いですから。

ということで、自宅では練習するのは難しいなということでようやく本題の練習場所をどうするかです。自宅以外で練習場所を確保しないといけません。

王道は音楽スタジオでしょう。まさにそれ専用の施設です。今まで自分の人生に関わってきたことがないので知りませんでしたが、調べてみると意外と近所にも音楽スタジオがあるもんですね。確かにありますし、ここなら防音もしっかりしているので音も出し放題なのですが、お値段も結構するのです。バンド練習を想定してるようで、複数人で利用する前提の広さと料金設定なのですよね。個人で頻繁に楽器練習をするのには、ちょっと無理目な料金設定になっています。

爆音が近所迷惑になるのなら、近くに人が居ない場所で練習するという手もあります。幸いうちの近所に河原がありまして、ここなら住居から離れているので音も出し放題です。河原を散歩してる人とか、グラウンドで野球している少年とかに丸聞こえですけどね。まあ、そこはそれ。年を取ると、いい意味で他人の見る目が気にならなくなりますので。って、あんまり気にしなさすぎるのもよくないのですけれども。

それに、これまた今まで自分の人生に関わってなかったので知らなかったのですが、河原で楽器練習してる人って結構いるんですよね。お互いの音が邪魔になるので遠く離れてはいるんですが、ああ今日もいつもの人も来てるなとか思ったりします。向こうもそう思ってるんでしょうね。

河原で楽器練習することのメリットは、自分が気持ちいいことにもあります。サックス吹いてるだけでも気持ちいいんですが、広い空間で一人でサックス吹いているという状況に自分自身が酔えるんですよね。冷静に考えるとただの勘違いなんですが、他人に迷惑をかけない範囲であれば多少の勘違いはいいじゃないですか。特に夕方になって夕焼けのなかでサックス吹いてるときとか、もしかして天国に来てしまったんじゃないかと思ってしまうくらい気持ちいいです。はたからみると、おっさんが下手くそなサックス吹いてるだけなんですが、いいじゃないですか。当人がそれだけ気持ちよければ。

そして最後にあげるのがカラオケボックスです。カラオケをする施設ですから、当然に大きな音を出しても問題ないんですよね。施設としては音楽スタジオに近いわけですが、料金体系が人数単位なので、一人利用だと安くつきます。一方の音楽スタジオは部屋単位の料金体系ですので。一昔前ならカラオケボックスの一人利用は奇異な目で見られたり、お店から断られたりしていましたが、最近はそんなことはありません。一人カラオケが随分と一般化しましたので、お店で断られることもありません。そして楽器練習での利用というのもわりと一般化したようで、楽器可のカラオケボックスも随分と増えてきました。ということで、最近はもっぱらカラオケボックスで練習しています。夜なら混みますし料金も高くなりますが、昼間だと数百円程度の利用料で済むんですよね。

そしてこちらでも同じことを考えてる人が世の中にはいます。昼間にカラオケボックスに練習に行くと、他の部屋からも楽器の音が聞こえてくるんですよね。他の部屋の音が聞こえるということは、自分の音も他の人に聞こえてるということになりますが、そこはもう気にしないしかないですよねぇ。下手くそですけれど、どうせお互い様ですし、そもそも練習にきてるわけで、誰かに聞かせるためにきてるわけでもありません。

ちょうちょうおじさん

「BLUE GIANT」というマンガがあります。世界一のサックスプレーヤーを目指す宮本大の物語です。作者は「岳」で小学館漫画賞をとった石塚真一さんです。

いきなり話がそれますが、主人公がサックスを吹くマンガって意外と少ないんですよね。音楽マンガはロックバンドが圧倒的に多く、それ以外はクラシックでピアノって感じでしょうか。ちゃんと数えたこともないので印象でしかないですが。私が知ってる範囲で主人公がサックスを吹くのって細野不二彦さんの「BLOW UP!」と、弘兼憲史さんの「風花凜子の恋」くらいでした。ぐぐってみると、吹奏楽部マンガでいくつかあるみたいですけどね。

とまあ少ないながらもいくつかサックスマンガはあるのですが、圧倒的に有名なのは「BLUE GIANT」ではないかと思います。映画にもなりましたしね。私も読んでますし、とても面白いです。ただ、面白いんですが、一方で疑問に思うことがないわけでもない。それがちょうちょうおじさんのエピソードです。

主人公宮本大の師匠は由井という人です。この人もBLUE GIANT=ジャズの巨人を目指した一人です。才能もあり努力もしました。現代音楽の最高峰であるバークリー音楽大学にも学びました。絶対にBLUE GIANTになるぞと若き日に友たちと誓ったのですが、実際にはなれなかった。今は自宅のスタジオで素人相手の音楽教室でかろうじて糊口をしのいでいる状態。そのレッスン生の一人がちょうちょうおじさんです。ある日のレッスンで「通して吹けましたね、蝶々」と由井がおじさんに声をかけたというシーンがあります。

おじさん、しょぼくれて描かれています。細かくは描写されていませんが、音楽の才能なんてかけらもないでしょう。熱心に練習もしてないと思います。なんせちょうちょうってかなり簡単な曲ですからね。宮本大や由井であれば瞬時に吹けてしまうような曲です。その曲をようやく通して吹けるまでに長い時間がかかったわけです。ようやく吹けた演奏も、おそらくは下手の極みでしょう。おじさんがちょうちょうを吹くことは音楽的には何の意味もありません。おじさんのちょうちょうを聞いて感動する人は居ませんし、なんのメッセージもこもっていません。音楽業界からすると、ただの時間の無駄でしょう。

才能ある由井が、そんな意味のないことに時間を費やさなければならないような状況を描写しているシーンなわけです。読者はここで勿体ないなと思うわけですし、そんな勿体ないことが起こってしまう今の音楽業界を示しているわけです。つまり下手くそなちょうちょうおじさんは、由井の落ちぶれの象徴として描かれているわけですね。こんなおじさんに対して貴重な由井の時間を使わなければならない世の無情を嘆くシーンなわけです。しかし、ここで声を大にして私は言いたい。おじさんがちょうちょうを吹くのは絶対に意味があるんだと。なぜなら、このちょうちょうおじさんは私だからです。

私がサックスを習っているのはエイジ先生ですが、実はエイジ先生もバークリー音楽大学で学んでます。マジかと思ってしまいますが、マジです。エイジ先生の場合はCDも出してますし、ライブ活動も行ってますので、由井のように落ちぶれているわけではありません。でも、ミュージシャンだけでは食べていけないようで、私のような素人へのレッスンも行ってるんですね。まあ実際大変なのだとは思いますよ。音楽だけで食べていける人って、ほんの一握りですからね。大半のミュージシャンは他の仕事を掛け持ちするなり、素人相手のレッスンをしたりして収入を補っているわけですから。この辺、役者とか漫画家とか他の芸術系の職種でも同じ事情ですよね。

さて、由井やエイジ先生のような人が、ちょうちょうおじさんや私のような素人に教えるのは時間の無駄なのでしょうか。音楽業界的には無駄でしょうね。ちょうちょうおじさんや私がサックスを吹いても、音楽的な価値は一切ありません。聞いて感動する人は絶対に居ません。伝わるメッセージもありません。そもそもメッセージを発信していないので当たり前なのですが。宮本大は「世界中の人にメッセージを伝えたい」と言います。それはいいでしょう。というか、プロのミュージシャンにとってメッセージを伝えることこそが目的なのですから。でもそれって「人のための音楽」なんじゃないですかね。音楽にはもう一つ「自分のための音楽」もあるんじゃないかと私は強く思うんですよ。

もう一度ちょうちょうおじさんのシーンに戻ります。おじさんは長いレッスンを経て、ようやくちょうちょうが通して吹けるようになりました。繰り返しますが、音楽的には価値は無いです。聞いて感動する人は一人も居ません。いや、実は一人だけいるのですよ。それはおじさん自身です。そばで見ている由井からすると意味のない演奏に聞こえたでしょう。でも、おじさん自身の中ではこのとき革命が起こったはずなのですよ。だって長い練習を経て、ようやく生まれて初めてちょうちょうを通して吹けたんですよ。そこには絶対に感動があるはずです。人には伝わりません。メッセージではありません。でも、そもそも人を感動させるためにおじさんや私はサックスを吹いてないんです。自分を感動させるために、自分自身の為にサックスを吹いてるんです。だから、サックスを吹いて新しいことが出来るようになったら、もうそれだけで嬉しくて嬉しくてしょうがないんです。レッスン終わった後も思い出してにやけてしまうくらい楽しいんです。そんな感動を味わうためにサックスを吹いてるんですよ。

宮本大や由井からすると、全く意味のない活動でしょうね。それも当然です。彼等は「人のための音楽」をやっているのです。それに対しておじさんや私は「自分のための音楽」をやっているのです。同じサックスという楽器を演奏しているけれど、やってることが全く違うのです。私は「人のための音楽」を否定しません。だから「自分のための音楽」も否定しないで欲しいのです。そこには「人のための音楽」に負けないくらいの感動があるのですから。

千葉次郎の挑戦

楽器を始めてある程度出来るようになると、人前で披露したくなるものです。絶対にそうとは限りませんけどね。

私の場合、サックスのレッスンを始めて半年くらいたった頃に、甥と姪の結婚式がありました。って、親戚同士で結婚したんじゃないんですよ。甥と姪がそれぞれ別々の相手と結婚したんです。つまり2件の結婚式が立て続けにあったんですね。

その結婚式の余興にサックスを吹ければいいなと思いましたが、さすがに自重しました。一つは、そもそも曲を披露できるほどに上達してない。この時点ではせいぜいきらきら星が吹ける程度でしかないのです。

もう一つは遠慮ですよね。結婚式の主役は新郎新婦ですし、彼等のこれからの人生を支えていくのは同僚や友人たちです。親戚のおっさんなどは、ただ祝儀を持ってくるだけの存在でしかありませんというと自虐がすぎますが、あんまり出しゃばらない方がいいのは確かでしょう。当人たちとの関係性によるので、一概には言えないのですけれどね。

ということで結婚式での披露は諦めたのですが、別の機会があることを思い出しました。それは正月に親戚一同で集まる食事会です。場所は自分の実家ですから、私はわき役ではありません。そこに居るのは親戚だけですからね。また、結婚式があったのは夏ですから、次の正月までにはまだ半年くらい時間があります。ならば一曲くらい吹けるようになるんじゃないかということを考えたのです。

そうとなったらまずは選曲です。私でも吹けそうな曲ってのもありますが、そもそもテーマが結婚祝いですから、それらしい曲がいいですね。私の世代だと結婚式と言えば長渕剛の「乾杯」が定番だったのですが、さすがにそれは若い甥と姪には通じなさそうです。ネットで「結婚式の定番曲」みたいな記事を探してみましたが、そこに載ってるのは逆にこちらがよく知らない曲ばかり。そんななかで、私でもかろうじて知っていて、それでいて若い世代にもある程度通じそうということで選んだのが、中島みゆきの「糸」です。よし、これにしましょうか。

早速楽譜を購入して練習です。しかし、楽譜を見て絶望もするのです。楽譜自体は読めますよ。楽譜って理屈なんで。しかも、それほど複雑なルールはないので、時間をかければ読めます。その点、英文を読むなどとは全然事情が違います。ただし、繰り返しますが時間掛かりますけどね。音符見て音名が即座に読みとれるわけではないので、ひたすら楽譜に鉛筆で音名を書いていくわけです。エイジ先生には、音名だけだとオクターブ間違えるからやめた方がいいとは言われましたが、あと半年しかないなかで楽譜を読むスキルを磨く時間はないので、ひとまず後回しにさせてもらいました。

ということで楽譜は読めるのですが、読めるからって演奏できるわけではありません。当たり前ですが。人間は初音ミクとは違うのですよ。きらきら星くらいの簡単な曲なら吹けるようになってきましたが、こんな複雑な曲そう簡単に吹けるようになるわけがありません。一つのフレーズがようやくなんとか吹けるようになって次のフレーズに進んで全く吹けなくて絶望してを繰り返しつつも、なんとか先に進んでいきます。

この頃はとにかく「糸」漬けの毎日です。通勤電車でもiPodで伴奏を聞きながら頭の中で音名を歌って暗譜しますし、少し時間があればエアサックスで運指練習をします。エアギターってあるじゃないですか。何もない空間にギターを持ってるつもりになるやつ。あれのサックス版です。何もない空間にサックス構えた積もりになってひたすら運指を練習するわけです。そして週末はカラオケボックスに通って実際に吹いてみて練習です。正月が迫ってくるなかで全然間に合いそうにないので、平日の夜も仕事が終わってから毎日カラオケボックスに通って練習もします。

こんな日々を送っていた私にとって励ましになったのが、この節のタイトルにした「千葉次郎の挑戦」です。これは東山堂という音楽教室のCM第2弾でして、第1弾は「披露宴篇」というCMです。娘の結婚式の為にお父さんがこっそりピアノを練習し、披露宴でサプライズ披露するというものです。大変感動的なCMで賞もとっています。YouTubeで観れたのですが、何か事情があるのか今は消されています。無断転載されたものはいくつも見つかるんですけどね。

「披露宴篇」は大変感動的なCMなのですが、実はこれはフィクションです。台本があって、役者さんがお芝居をしているのですね。それが悪いというわけではないのですが、第2弾の「千葉次郎の挑戦」はドキュメンタリーなのですよ。実在する千葉次郎さんが息子の結婚式でサプライズ披露するため、隠れてサックスを練習するというものです。こちらも大変感動的なCMです。YouTubeではやっぱり公式動画は消えてるんですけれども。でもマジ千葉次郎さんリスペクト。かっこいいです。

そんな感動的な映像を観て気持ちを高めつつ毎日サックスを練習し、なんとか正月ぎりぎりに通して吹けるようになりました。間にあったー。

ということでいよいよ親戚の集まりでの披露です。どうだったか、、、結果は聞かないでください。現実はYouTubeのようにキラキラしてないのですよとだけ。一応間違えずに吹けはしましたが、誰も感動などしません。ただしらけた空気が流れただけでした。イタタマレナイ

人生を戦う武器

はじめにでご紹介した鈴木智彦さんの「ヤクザときどきピアノ」のにはこんな一節があります。

「ピアノは人生に抗うための武器になる。」

人生は理不尽です。鈴木さんの取材フィールドであるヤクザ業界は特にそうでしょう。法律のたがすら外れてしまっていますから、理不尽オブ理不尽であることでしょう。ピアノを弾くことは、そんな理不尽な人生を戦うための武器になると仰ってるわけです。カッコいいじゃないですか。

大人になってからに限りませんが、人が何かを始めると余計なことを言ってくる人たちがいます。「プロにでもなる気?今からなれっこないのに」「それでいくら掛かってるの?儲かるの?」「それ何か意味あるの」などなど。経済的合理性で考えれば、大人になった素人が楽器を始めるのは全く不合理でしょう。それは正しいとは思います。そして現代日本ではこの経済的合理性が大手をふってる価値観ではあるでしょう。大人から子供までメリット・デメリットを比較して、コストパフォーマンスやらタイムパフォーマンスやらをひたすら気にしながら毎日を過ごしています。それでよりよき人生を送れるのならいいでしょう。でもそれだけでいいんですか。

鈴木さんが書いてるとおり、人生は理不尽です。なんなら今日この瞬間に世界は滅亡して人生は終わるかもしれません。であればわずかなメリットを追求することに何の意味があるのでしょうか。いずれ全員が死んでしまう運命であるなら、その人生で利益を追求することに何の意味があるんでしょうか。スティーブ・ジョブズではありませんが、今日が人生最後の日であるとして、あなたがしたいことはいったい何なんですか。ただピアノを弾いて最後の一日を過ごす。それでもいいんじゃないでしょうか。

私の場合は人生を戦う武器としてピアノではなくサックスを選びました。でも武器はピアノやサックスである必要はありません。他の楽器でもいいし、楽器でなくてもいい。絵を描くのでもいいし、文章を書くのでもいい。ただひたすらに自分が楽しいと思える手段で、自分が楽しいと思える時間が過ごせるなら、それは人生を戦う武器になると思います。

人の為に何かをすることを働くこととするならば、趣味とは自分の為に何かをすることではないでしょうか。働くことにメリットやコストパフォーマンスを求めるのは必然でしょうが、趣味にメリットやコストパフォーマンスを求める必要はあるのでしょうか。下手でもいい。誰も感動しなくてもいい。そもそも他人の為にやってるのではないのだから。

鈴木さんと私はこうしてアラフィフになって人生を戦う武器を手に入れました。この武器を手に、後半の人生を戦っていこうと思います。そして死にます。

おわりに

ということで本文を書き上がりました。いかがでしたでしょうか。

アラフィフの音楽素人のおっさんがサックスを始めてみたへっぽこ体験記かと思いきや、最後には人生まで熱く語ってしまいました。自分で読み返してみて赤面するほど恥ずかしい文章ですが、間違いなく自分の本音でもあります。こうして文章として書ききること自体も私にとって人生を戦う武器でありますので、書けてよかったです。そして私のサックスは人のために演奏することはありませんが、文章は多少人に読んでもらうことを望んでいるため、こうして同人誌という形にして頒布しています。読んで、多少なりとも感じるところがあれば嬉しく思います。