どこかのツイートで見かけたのですが、SNSの繋がりの変遷の解説がされていました。以下のように変遷しているそうです。
- Facebookやmixiのような相互認証型
- Twitterのような片方からのフォロー型
- TikTok のようなお勧め型
個人的にはこういう変遷をあまり意識していなかったので、なるほどなぁと感心してしまいました。言われてみれば確かに。まあ、Facebookのように相互認証の友達の仕組みは残しつつ、ウォールはお勧め型ってのもありますけどね。
SNSとはソーシャル・ネットワーキング・サービスのことであり、肝はソーシャルの部分です。このソーシャルは要するにユーザごとに他のユーザとの繋がっているということですね。ユーザのページにはそのユーザのソーシャルが反映されるため、同じサービスなのにユーザごとに違う内容が表示されます。一般のサービスの場合、同じ操作をすれば基本的には同じ内容が表示されるわけですが、そうはならないところがSNSなわけですね。だから、とあるSNSがすごくおもしろいと言っても、新規に入ってきたユーザのページにもおもしろいコンテンツが表示されるとは限りません。
SNSとはこういうサービスであって、先ほどの類型のうち相互認証型とフォロー型はソーシャルだと思います。でもお勧め型は果たしてソーシャルなんでしょうか。お勧め型って言ってしまえば買い物履歴をもとに商品をお勧めしてくるECサイトと同じなわけですよねぇ。ユーザの過去の閲覧履歴からコンテンツをお勧めして来るにしても、そこにはユーザ間の繋がりはないわけですよね。
ユーザにとってもお勧め型が一番面白いのだろうと思います。ユーザにとって面白いと言うことは、運営してる側にとっても最も利益があがるわけでして、SNSはどんどんお勧め型に進化していっています。それはいいんですが、そこにソーシャルがないのであれば、SNSとは名乗らずに別の名前を名乗ったらいいんじゃないかなぁというように思ったので書き出してみました。
ちょっと話がそれますが、かつて一億総白痴化といってテレビが非難されたことがありました。この時の主な主張はテレビの番組内容が低俗だってことらしいんですが、それとともにテレビから一方的に情報が提供されて、視聴者はただそれを黙って享受する一方ってのもあるかなと思うんですよ。ただ口を開けて食べ物が勝手に入ってくるのを待っているかのように。
で、SNSのお勧め型ってのも、この白痴化に近しいのではないかなって気がします。相互認証型やフォロー型の場合、自分のタイムラインにどのようなコンテンツが流れてくるかをユーザ自身が工夫して選び取っています。そこにはユーザの自主性がありますし、創意工夫が現れるところでもあります。一方お勧め型はそういう工夫は一切ありません。コンテンツとしての面白さは多分お勧め型の方が上です。でもそこにはユーザの工夫もなにもない。ただ白痴のようにコンテンツを享受しているだけのユーザがいるだけになってしまうのではないかなという気がします。