匿名なら正論が言える

2023/8/14作成

ネットには多くの人の意見が投稿されていますが、書いている人は実名・筆名・匿名に大きく分かれます。

実名は書いている人の戸籍名。筆名はいわゆるペンネーム。芸名も含めるかな。作家や芸能人に限らず、ネット上でのみ活動してる人も含まれます。私の場合は saoyagi2 と名乗っていますので、これが私の筆名になりますね。そして匿名。捨てハンも事実上匿名に含めるかな。

実名と筆名は、書いている人が誰だか特定されています。その人がどこに住んでいるか、どんな職業か明らかになっていない場合もありますけどね。でもとにかく誰だかわかっている。誰だかわかっているということは、その人が過去にどんな活動をしたか、どんな発言をしたかもわかるってことですね。

一方匿名の場合、どこの誰だかわからなにのに加えて、その人が過去に何を言ったか、何をしたかもわかりません。とにかくその場限りの発言になります。これ、ある意味非常に都合が悪いとともに、非常に都合がよかったりもするんですよね。

都合が悪いのは、例えばその人が「私が以前から何度も書いている通り云々」と言ったところで、過去になんて言っていたかわからない。つまり、発言の連続性がないんですよね。そして都合がいいのもこの発言の連続性がないこと。過去の発言と矛盾してても誰にも分らない。発言の蓄積はできないけれど、常にまっさらな状態で発言できる。発言にイロが着いてないとでも言いますか。

過去にとらわれないと何がいいかというと、ド正論が書けるんですよね。過去の発言や活動が明らかになっている人の場合、ド正論を書いたとしても、自分の過去の言動との矛盾を突かれてしまったりもする。また、その人にとってしがらみがあったり、自己の利益を守るためだったりで、ド正論は言えなかったりもする。最近で言えば、ジャニー喜多川氏の性加害問題がわかりやすいですかね。この場合ド正論は性加害は悪になります。多分、本心としてここを許容する人はいないと思う。でも、自分の過去の言動であったり、しがらみであったり、利益を守るためであったりで、ド正論が言えない人が何人も出てきましたよね。そう考えれば、政治家が珍妙な答弁を繰り返す理由もわかってきます。自分でも通らないとわかっている屁理屈をこねてでも守らないといけないものがあるんですよね。守るといっても、権益だったりとかであったりするわけですが。

さて一方匿名さんです。匿名さんも実際には実在の人物がありますから、実名や筆名で発言する立場もあるでしょう。でもネットで匿名で発言しているときにはそれがわかりません。なので、自己の過去の発言との整合性を問われることはありませんし、実際の自分の権益を守るための発言をする必要もありません。だからド正論をいうことが出来る。

一足飛びに結論を書くと、結局私は今でも集合知というのを信じてるんですよね。ネットで匿名の人がド正論をいうことによって、社会がよくなるのではないかと。それは一面では真実だろうとは思います。一方で、木村花さん事件のような悪い方向に働いてしまうこともある。これは今後の規制によって改善されるだろうと期待しているのですが。