随分前からですが、Qiita 界隈には「初心者は低質な記事を書くな」という主張をする人がいます。低質な記事が書かれることで高質な記事が埋もれてしまい、Qiita ひいてはネット自体が低質な記事であふれて使い物にならなくなるという主張です。
似たような主張で、より大変になっていそうなのは COOKPAD ですかね。初心者が作ってみましただけの低質なレシピを大量に投稿するので、検索しても使い物になるレシピがなかなか見つからないという事態になっているそうです。私自身は COOKPAD 使ってないからよく知らないんですが。
彼らは初心者の低質な投稿を禁止することで場の品質を保つことが出来ると考えているわけですが、Qiita にしても COOKPAD にしても運営は低質な投稿を禁止していないのですね。彼らが騒ぐことによって得られるのは、せいぜい「あの界隈はめんどくさい人がいるので近づかないようにしよう」と人を遠ざける程度の効果ですかね。
ところで、そもそも何をもって低質な投稿とするかという定義の問題もあるのですが、そこまで話を広げると発散しすぎるのでいったんここでは置いておきます。ある程度多くの人の共通認識として、低質な記事が判定可能という仮定の下でここでは話を進めます。
当たり前ですが、この低質な投稿問題って、Qiita や COOKPAD に限った話ではないんですよね。Amazon や Google マップの口コミをはじめ、ユーザが投稿する UGC といわれるサービスにおいては常に発生しうる問題です。
UGC においてはユーザの投稿がコンテンツそのものですから、運営側はとにかく一つでも多く投稿してもらおうと頑張ります。そりゃ高質な投稿で溢れれば理想ですが、投稿がないよりは低質な投稿でもあったほうがマシです。低質な投稿がたくさんあることがピラミッドのすそ野となり、高質なピラミッドの頂が高くなるということもあるでしょう。一方、悪貨が良貨を駆逐するように低質な投稿が高質な投稿を追い出してしまうこともあるかもしれません。どっちにころぶかって運営でも完全にはコントロール不能で、目に見えない力によって導かれるしかないのかもしれませんけれどね。
そして現実問題として、Amazon や Google マップの口コミなどは質はともかく量が溢れかえっていて、全てに目を通すのは不可能な量になっています。高質な口コミは参考になりますが、それを見つけるのは至難の業。2000年代には UGC は夢が溢れていたわけですが、2020年代に至って UGC はコンテンツ量が臨界を突破してしまったのではないかなぁという気がします。量が少なければすべてに目を通すことが出来ますので、低質なものがあってもそれほど邪魔ではないんですよね。
これ、問題意識はわかるけど、解決方法は低質な投稿を禁止することではないと思うんですよね。そもそもルールとして禁止したところで実効性があるのかって問題もありますけれど。運営が低質と判断した投稿を片っ端から削除するくらいしか方法はありませんが、そんなことをしたらあっという間に場が廃れますよねぇ。
そうではなくて、玉石混交になってとても人力では探せなくなってしまった場において、高質なコンテンツをうまく救い上げる仕組みがあればそれでいいんですよね。多くの読者がいいねした記事は上位にくるような仕組みはすでに多くのサービスで実装されていますが、それをもっと推し進めればいいんじゃないでしょうかね。いいねはユーザの積極的な行動に依存していますけど、例えばページを読んでる時間は自動的に収集可能ですから、長い時間読まれた記事は有用って判断方法もあります。ブラウザ開きっぱなしで放置されてたって可能性もあるけど。
最近躍進が目立つ AI の導入どころでもありますよね。UGC に投稿された大量の投稿は人間には読み切れなくなってしまいましたが、AI なら全部読めます。AI によって高質/低質を判定してもらって高質なコンテンツを優先して表示するようになれば、かなり状況は変わりそうな気がします。多分この先数年で AI による品質判定は多くのサービスで導入されていくんじゃないでしょうか。低質な投稿に怒ってる人も、低質な投稿が目に入ってくるから怒ってるわけでして、高質な投稿が目に入るようになれば怒らなくなるんじゃないかと思いますがどうでしょうかね。
ところで UGC にも大きく分けて二つの種類があるんじゃないかと思ってます。一つは Qiita や COOKPAD や各種口コミサイトなどの情報提供型コンテンツ。これはユーザが投稿者と読者に大きく二つに分かれます。もちろん投稿者が読者を兼ねることもあるのですけど、投稿と購読を同時に行うことはありません。この手の情報提供型 UGC の場合はコンテンツの質が問題になります。
もう一つのタイプは掲示板や SNS などのコミュニケーションタイプ。こちらももちろんコンテンツの質は大切なのですが、その質は万人にとって共通の価値観とは限らないんですね。コミュニケーションをとっている相手との間だけで通じる楽しさ、言ってしまえば身内受けだって構わないわけです。要は俺が面白いと思えばそれでいいわけなので、万人向けの質はあまり求められません。まあSNSに商業コンテンツを求める人たちのような人も世の中にはいるんですけどね。あと、情報提供型 UGC がストック的であるのに対して、コミュニケーションタイプはフロー的であるという違いもあります。
ということで UGC の品質問題も、UGC のタイプ別で考えないといけないのではないかなということを付け加えておきます。