ここで何度も繰り返し書いてきたことですが、私は言論や表現の自由は絶対に守るべきものだと考えています。この場合の言論や表現とはあらゆるものにあてはまりますので、エロでもグロでも通俗でも低俗でも何でもです。だからエロマンガを規制しようとするフェミニストには断固反対します。それは私がエロマンガが好きとか嫌いとかは関係なくの話です。
そんな私ですが信念が揺らぐこともあります。その一つがSNS社会。SNSというか、ネットの登場によって一般大衆が自分の意見を広く発表することが可能になりました。ネット以前は一部の人だけの特権だったんですよね。自分の意見を広く発表することって。
ネットやSNSの発達によって、誰もが自分の意見を広く発表できるようになったこと自体は喜ばしいことだと思います。その誰もが発表する意見の中には愚かなものや間違っているものもあるでしょう。でも全体としては言論の自由が保たれていることでそうした意見は淘汰されて、より適切な意見が生き残っていきます。それが理想の仕組み。
ただ、現実にはそうはなりませんでした。愚かな意見、間違った意見が大手を振ってまかり通るようになりました。陰謀論とかデマとかですね。なんでこういう意見が広まってしまうかというと、受け取り手のリテラシーが不足していて、ただ耳障りのよい意見を鵜呑みにしてしまうから。言論の自由による理想社会は受け取り手が十分な批判精神を発揮することを前提としていますからね。でも実際の大衆はそこまで賢くはなかった。結果的に陰謀論やデマがはびこるようになってしまった。
陰謀論やデマによって実際に社会にも悪影響も出ていますから、表現や言論の自由に一定の制限を設けるべきだという意見もあり得ます。というか、実際にそういう意見もありますよね。それ自体はもっともだと思うのですが、でもそれで表現の自由に枷をかけることはパンドラの箱を開けるに等しい行為ではないだろうか。あの意見を封ずることが出来るなら、この意見も封じてしまっていいだろうと暴走するのは目に見えています。また、どんな意見が社会に有害であるかというのは客観的には決まりません。為政者が決定してしまうのなら、為政者自身にとって都合のわるい意見を封じる道まではあっという間でしょう。
ということで、SNS時代の言論の自由がどうあるべきなのか、考えあぐねるところです。枷をかけることは大問題ではありますが、一方で現状の野放しも大問題です。どうするのがいいんでしょうねぇ。
例によって1ミリも調べずに想像で書きますが、言論の自由って概念の登場って活版印刷の発明の影響があると思うんですよ。活版印刷以前はそもそも言論を広く行き渡らせる方法がそもそもありませんでしたから、自由が必要かどうかも意識されなかった。活版印刷によって言論を広く広めることが出来るようになったので、その自由を守ることが大切であると言う認識も広がったんじゃないですかね。つまり、技術の発明が言論の自由という概念を生み出したのではないかと。
そうであれば、現代は新しい言論の自由像が求められているんじゃないですかね。言論を広める道具としては、ネットやSNSというのは印刷技術に匹敵する発明だと思いますので。