子育ては踏み台を用意すること

2022/11/8作成

これは随分前に知り合いから教えてもらったことなのですが、子育てとは踏み台を用意することなんだそうです。以下、私の解釈も加えてご説明します。

子供が子供の人生においてどんなことをするのか、どれくらいのことをするのか。それをジャンプすることに例えるわけです。そして、この場合ジャンプするのは子供自身。ジャンプするかどうか決めるのも子供自身。どこに向かってジャンプするかも含めて。

例えば「東大に行って官僚になって日本を良くする」というのが子供にとってのジャンプだとします。そのジャンプの目標点は子供自身が決めることですね。親が勝手に決めていいものではありません。東大に行くにはそれなりに勉強する必要があります。勉強する環境を整えたり、塾に行く費用を負担したりというのは親の役目です。これが踏み台ですね。十分な踏み台を親が用意することが出来れば、子供はしっかりとジャンプして東大に入って官僚になるというジャンプを行うことが出来るというわけです。

ジャンプでどれくらい高く飛べるかは、子供自身の才能と努力によります。ここは親が手を出せない領域。一方、踏み台が高くなっていれば、それなりのジャンプでも高い地点に到達することが出来る。これが親が手を出せる領域です。親が十分な踏み台を用意出来なくても、子供自身がものすごく才能があったり努力をすれば、高いジャンプを飛べるかもしれません。だから本人の努力次第だってのは間違ってないかもしれませんが、そんな子でも踏み台があればもっと高く飛べたかもしれないわけです。言い換えれば、ジャンプ自体は本人の努力や才能、踏み台というのは環境ということですね。

踏み台も一つとは限りません。飛び先だっていっぱいあるわけですよね。俺はミュージシャンになるんだと言ってる子に、医者になれと言って無理やり勉強させてる親とか居ますよね。これは踏み台を用意してるんだけど、本人の希望する踏み台とは違ってしまっている例になります。

子供の人生も長いですし、途中で道が変わるかもしれません。人生100年時代ですから、むしろ道が変わらない方がおかしい。であれば、踏み台も予め複数用意しておく方がいいのかもしれない。要するに、いろんなことを勉強させたり体験させたりってことですね。これは別に目新しい事でもなんでもなく、多くの親が実践していることでもあるとは思います。