どんな議題においてもですが、問題は複数の構成要素からなりますし、考えられる解決策だって一つではありません。だから、議題に対して一言で言い表すってのはとても出来ないです。例えば「コロナは風邪か」という議題に対して、ちゃんとした感染症専門家なら一言では言い表せないでしょう。そもそも風邪とは何かから始まって、90分の講義時間をこの議題だけでフルに話せたりするのが専門家だと思います。その課題に誠実に向き合っていれば、とても一言で言い表せるわけはないはずなんです。
一方、似非専門家だったりコメンテーターとかは一言で言い切っちゃう。「コロナは風邪です」とか「コロナは風邪ではありません」とか「コロナは医療業界の陰謀です」とかとか。陰謀論はともかくとして、風邪であるかどうかにYESかNOかで答えるのは果たして誠実なんでしょうか。そりゃま設問はYESかNOかでの回答を求めていますけれども、そう簡単に言い切れるのか。でも結果としてだけど、こうした議題に不誠実な回答の方が受けてしまう。
なんで不誠実な回答が受けてしまうかというと、最大の理由は分かりやすいからですよね。一つの議題に対して90分も話を聞いて、しかも結論としてどっちとも言えるというような曖昧なモノであったら、その分野の専門家でない人にとっては付き合いきれない。人はそれぞれ自分の向き合っている課題をいくつも抱えているもので、直接向き合っていない課題に対してそんなに長い時間を掛けられない。だから分かりやすい回答に頼ってしまう。でもその分かりやすい回答ってのは危険なんですけどね。
SNSの台頭ってのもあるんじゃないかと思います。Twitterは140文字制限がありますから、入り組んだ正確な回答を書くことはできません。レスを繋げていったり画像で貼るという方法がないわけではありませんけれどね。はてなブックマークは100文字制限でして、こちらは連投などもできませんから本当に100文字しか書けません。どうしても書きたかったら自分のブログに書いてはてなブックマークにはリンクを置くしかない。ともあれ、こうした短文投稿の文化が今のネットには定着しているのは言えると思います。短文フォーマットではどうしたって長い文章を書けませんから、短文で言い切っちゃう。読むほうも短文だとすぐに読めるし、分かりやすいので、そういう文章を好む。このスパイラルがどんどん進んでいるのが今のネットかなという気がしています。結果、議論は深まらず、課題に対して不誠実な回答だけがどんどん尊ばれて行ってしまっている。
個人的な記憶と観測範囲では、この手法を政治の世界に取り込んだのが小泉さんじゃないかと思うんですよ。小泉さん以前の昭和の政治家はそもそも国民に向かって何か話しかけたりしなかった。たまに会見などでしゃべっても「まーそのー」くらいしか言ってなかった。そもそもこの時代の政治とは赤坂の料亭で行うものであって、国民と対話して行うものではなかった。それに対して小泉さんは、短い言い切りの言葉で国民に訴えかけて圧倒的な支持を得た。短い言い切りなんで当然課題に対して誠実に向き合ってるわけではないんですけどね。実際にはいろいろ考えていたんだろうとは思いますが、表に出てくる言葉は短い言い切りだった。
こうして小泉さんが言い切りスタイルで国民を操ったのをみて、なるほどああやればいいのかと学習したのが後の平成の政治家たちではないかなぁと個人的に思ってます。個々、政策や言動の評価は別として、テレビで短文で言い切っちゃうスタイルというのが随分と一般的になったような気がします。それによって国民が政治に関心を持ちやすくなって、政治との距離が縮まったという面もあるから、一概に悪いとも言えないのかもしれませんが。
なお、言い切りせずに長々と回答するから必ず誠実と限らないというのも注意が必要です。けむに巻くためにこの手法を悪用する人もいますよね。誠実に回答しているのか、けむに巻いているのか、その区別ってなかなか難しいんですけれどもね。