希望の超高齢化社会

2013/2/11作成

日本は超高齢化社会を迎えています。日本だけではなく、先進諸国もそれに続いていますので、この問題は世界的な問題となっていますが、まあとりあえずは日本がこの問題の最先端を走っていますし、自分の住んでいる国の話が最優先とすると、まずは日本の問題として考えるのでいいかなと思います。

「問題」と書きましたとおり、一般に超高齢化社会は問題であると考えられています。より言い換えれば「困ったこと」でもあると言えます。なぜ困るかというと、生産者人口に対して老齢人口が過大になって生産者の負担が大きくなることにあります。生産者人口を増やすことで問題を解決しようと少子化対策を語られることがありますが、個人的にはこれは間違っていると思っています。なぜなら老人人口を従来と同等の負担で支えられるほどの生産者人口を擁しようと思ったら、日本の人口は数億人となってしまって、とても現実的ではないからです。

ですので、個人的にはこれは別の切り口での解決が必要だと思います。私が有効だと思うのは、老人の定義を変えること。一般には老人とは65歳以上を言いますが、これを切り上げてしまえばいいのです。例えば70歳以上に切り上げれば、65歳から69歳の人は老人ではなくなりますから、老人人口は一気に減ります。まあ、一種の誤魔化しのようなものでもありますが、現実に即した解決方法でもあると思います。なぜなら、今の老人はかつての老人に比べると圧倒的に健康で元気だからです。

かつては50歳くらいでも初老と言われていましたし、60歳くらいでよぼよぼが普通でした。しかしいまどきの60歳だと、かつての中年世代と見た目も中身も大して変わりません。これらの人を老人と呼んで果たしていいのだろうか?年金で悠々自適の生活を送ってもらっていいのだろうか。いやまあ、これまで一生懸命働いてきたわけですから、豊かな老後を過ごしてもらうというのはそれは大切なことではあるのですが、しかしそれを全ての65歳の人から実現できるだけの社会的な余裕は今の日本にはありません。そうした人にはもうしわけないのですが、もうしばらく働いて経済的に自立してもらわないと困るわけです。実際のところ、定年制の延長だったり、老齢年金支給開始年齢の引き上げであったりと、政策的にもそうした方向に向かっていますので、別に私だけの荒唐無稽な考えではないわけです。

せっかくゆっくりした老後を迎えられると思ったのに、まだまだ働かないといけないとは夢の無い話のようにも感じられますが、一概にそうとも言えないと思います。ゆったりした老後ライフは楽なようですが、それは気力も体力も衰えた老人だからそう感じるという面もあり、まだまだ気力体力共に充実している人にとっては退屈な日常と言えるかもしれません。それなら働いて刺激のある毎日を送ったほうが充実しているかもしれません。

高齢化社会によって、日本は生産者人口が減少して生産力や購買力が衰えることが心配されています。しかし、老人とみなす年齢を切り上げるだけで、一気に老人人口が減って生産者人口が増えることになり、多くの問題が解決することになるのではないでしょうか。そして、日本が高齢化社会ということは、このゾーンの人口は大変多いのです。これらの人口移転が起こることによって、一気に日本社会が活性化するということもありえるのではないかと思います。それがタイトルに書いた「希望」というわけです。

なお、念のために申し添えておきますと、当然個人差がありますから、65歳で既に衰えてしまったり病気を抱えてしまっていて引退生活を余儀なくされる人もいるでしょう。そうした人にまで無理して働けとまでは言いません。そうした人は社会が支えなければなりません。しかし、それは別に65歳以下の人に対してもこれまでにも行われていたことですので、特に心配することではないと思います。

(2018/9/2追記)

今読み返してみると、随分といい加減なことを書いてるなと自覚しましたというか、問題の本質が理解できてなかったなと思います。

問題の本質は高齢化そのものというよりは、少子化と高齢化が同時におこることによって、生産者の負担がふえることなわけですね。まあ、つまりは人口オーナスそのものって話であって、日本で起こっているのはそれが人類史上なかった規模で起こってることであって、今後数十年の間に多くの先進国でも起こることが予想されるわけですね。というか、人口予測というのは比較的精度高く予測が可能なので、ほぼ確実に大規模な少子高齢化は起こるわけですよね。なんで人口予測が精度高いかというと、人は0歳でしか生まれなくて、今0歳の人は10年後には10歳になるのは絶対だからです。国単位での人口予測でこれを覆すのは大規模な疫病や戦争で死者が急増するか、大規模な移民があるかくらいしかありえませんからね。

さて、大規模な少子高齢化が進行するわけですが、その対策というか、老人の定義を変えればというのは今でも意見は変わりません。政策としてもそういう方向で進んでますよね。定年を延長し、年金支給を繰り下げて。65歳以上という老人の定義は、今後おそらく70歳に引き上げられるでしょうし、さらに引き上げられる可能性もあるでしょう。

これにより老人の人口は少し減り生産者人口は少し増えるわけで、私はそれで問題はすべて解決と安易に考えてたのですが、それでもカバーできないくらいに少子高齢化が進行するというのが問題の本質だったわけですね。さて、これどうしましょうかね。今のままでは行き詰まるってのは間違いないのですが。

(2019/1/9追記)

なかなか興味深い記事を読みました。

日本の破局的な少子化と、急ぎすぎた近代化

ざっくり要約すると少子高齢化は近代化によって起こる必然なので日本特有の問題ではないこと。比較的ゆっくり近代化が進んだ欧米では問題はまだソフトだが、一気に近代化が進んだアジアでは破滅的であるということ、といったところでしょうか。

日本では少子高齢化が問題として取り上げられる際、その理由として第二次ベビーブーマー世代がちょうど就職氷河期にぶつかってしまったため結婚出産をする機会が狭められたと説明されるように思います。が、この記事ではその影響はゼロではないが軽微であり、主たる要因は近代化による社会の成熟にあるとしているわけです。

ジョジョ第二部でカーズの解説として「究極生物は子孫を必要としないので生殖能力もない」とあって、なるほどなと思った記憶があります。一般に下等な生命体ほど多産です。高等生物になるほど成体まで生育する可能性が高くなるので少産になるわけです。命を脅かされるおそれのない究極生物ならば子孫そのものが不要というわけですね。

生物としての生殖という観点とは別に、人間社会においては子孫を残すのは経済的な観点が存在します。子供を産み育てるコストが低い場合、多産の方が経済的に有利になります。未成熟な社会では子育てコストが低いので子育てはリスクが低く(妊娠出産自体のリスクはひとまずおいておきます)、一方育った子供は労働力として家庭に収入をもたらすわけです。一方成熟した社会では子育てのコストが高くなります。このような社会で多産であると子育てコストが負担しきれないというリスクが顕在化するため、少産となるわけです。

もう一つの観点として、成熟した社会では自分自身の人生が幸福である可能性が高くなります。豊かになった社会の恩恵をうけ、成熟した社会において十分な権利を享受できるなら、自分自身の人生をめいいっぱい楽しんだ方がよいというインセンティブが発生します。そのような社会では子育ての大きなコストが自分自身の人生を毀損するデメリットが大きくなるわけですね。

このような理由から成熟した社会では少産となる傾向になり、結果少子高齢化が進行するというわけですね。なるほど。

このような成熟した社会というのは人類が初めて獲得したものなので、今後どのようなことが起こるのか、どう対処したらいいかというのは歴史から学ぶことができません。どうにか破滅を迎えることなく、未来につなげていきたいものですね。ちなみにですが、少子高齢化と同時に医療の劇的な進歩も進んでいますので、高齢者の定義がどんどん後ろ倒しになっています。個人的には、やはりそこが解決の糸口かなと考えています。

(2019/2/19追記)

今頃になってですが、増田寛也氏の「地方消滅-東京一極集中が招く人口急減(ISBN:978-4121022820)」を読みました。 今後、多くの地方自治体が人口を維持できなくなって消滅するとして話題を呼んだ増田レポートというものですね。

上で私が書いてることもそうですが、少子高齢化や人口問題というとどうしても日本全体の平均で考えてしまいがちです。 というか、その軸でしか考えていませんでした。 しかし増田氏は、人口を自治体ごとに分けて集計し、しかもそれを年代ごとにもにも分ける。 日本全体だと人口動向は自然増減がほとんどになるが、自治体ごとだと転入転出の社会増減の影響も大きくなる。 そうした分類と集計を行った結果、地方からは若年層が多く東京に流出していることをあらわにしている。 つまり、日本全体や東京としてはまだそれなりに若者が居て少子高齢化も先の話に聞こえるが、地方によってはすでに高齢者しかいないという末期的な状況に陥っていることもあるということ。

また、重要なのは東京は出生率が著しく低いこと。 地方にいたままなら子供を産み育てていたであろう若者が東京に出てくることで子供を産まなくなる、産めなくなっていることで出生率が抑制されているということ。

増田レポートには当然ながらいろいろ批判も多いようですが、その大半は今後の人口増に向けた政策提言の部分かと思われます。 なにより、前半の地域別世代別の人口動向は統計に基づく事実ですから、そこを批判することは現実から目を背けることにしかならない。 誰しも自分の地元が将来消滅すると言われればそりゃいい気分ではないでしょうけれど、だからといって増田レポートを批判すれば自治体の消滅を回避できるわけでもない。

政策提言部分の是非はおいておくとしても、前半の統計データに関する話は人口問題を考える上での必須の共通知識ではないかと思いました。

(2023/10/29追記)

実際のところ、高齢者の年齢を繰り上げた場合にどれくらいの変化が現れるのか、統計数字から調べてみました。使用した数字は総務省統計局の人口推計(2022年10月)です。

まず現状。16歳から64歳の生産人口は73,125千人で、総人口に占める比率は58.52%です。高齢者は36,236千人で総人口に対する比率は29.00%。

高齢者を70歳以上とすると、生産人口は80,660千人となり700万人ほど増えることになります。人口比率は64.56%。高齢者はその分減って28,701千人、22.97%となります。これはいずれも2010年頃の水準となります。2022年の12年前ですね。

高齢者を75歳以上にすると、生産人口は89,997千人で72.03%、高齢者は19,364千人で15.50%となり、1995年頃の水準になります。約30年分、バブル崩壊直後まで時計の針を巻き戻せることになります。

高齢者年齢の切り上げは単なる問題の先送りという気がしないでもないですが、一方で人間の寿命は永遠に伸び続けるわけではありませんので、先送りにしている間にどこかで均衡点がやってくるような気もします。