お金の仕組み

2022/7/3作成

子供の頃から、お金ってどういう仕組みで成り立ってるんだろうと疑問に思っていました。お金の仕組みを知らなくても、普段の生活では特に問題にはならないので長年放置してきたのですが、時々気になって少し調べたりはしてました。が、なかなかうまく情報に行き当たらない。「お金の仕組み」でぐぐっても投資指南とかしかヒットしない。多分学問分野としては経済学なんだろうけれど、経済学の入門書でもこういう話ってあんまり載ってなさそうな。既にそんなことは知ってる前提から始まってるんじゃないかな。ちゃんと読んだこと無いけど(あかんがな)。

でも疑問は疑問でもやもやするなぁということで、とりあえず一旦自力で考えてみました。素人が推測しただけなんで盛大に間違ってるでしょうけれど、とりあえず自分の思考のとっかかりとして記録しておきます。うまく資料に行き当たって、ちゃんと理解できたら追記します。

ということではじまりはじまり。まず最初は完全自給自足の社会からです。そっからかよと思うかもしれませんが、そっからです。この時代には食料も道具も必要なものは全て自分たちで調達します。狩りをし、漁をし、石器や土器を作ります。農耕も始まっていたでしょうね。自分でと書きましたが、正確には共同生活をしている集団です。群れですかね。数人から数十人程度でしょうか。

この時代にはまだお金はありませんが、生産という概念はありますから、生産高もあります。お金に換算することが出来ないので、数値としては表しにくいですが。年間に魚1000匹、イノシシ100頭といった感じで生産高は表すことは出来ます。つまり統計数値として残ってるわけではないけど、GDPとかで表しうるということですね。

次に物々交換の時代です。狩猟や生産技術の発達で、生産高がアップします。同時に専門化が進みますから、ある群れは狩りが得意、ある群れは漁が得意といった状況になります。技術が進歩して生産高がアップして、群れでは消費しきれないくらい獲物が得られます。一方、自分たちの群れで不得意なモノは不足する事態になります。そこで、得意分野の違う群れ同士がお互いの生産物を交換するようになります。つまり、これが物々交換ですね。物々交換を定期的に行うための市も立ちますが、この時点ではやはりお金は存在しません。モノとモノを直接交換していますからね。しかし、お金はなくても生産高や取引高という概念は引き続き発生します。取引高の大きい市が人気になって、あちらの市に持って行った方がいいモノと交換できるといったことは発生していたでしょうね。

物々交換には問題があります。それは常にお互いの欲しいモノが一致するとは限らないということです。マッチング問題ですね。市に魚を持ってきた人がイノシシの肉が欲しいと思っているのに、イノシシの肉を持ってきた人は土器が欲しいと思っていれば取引は成立しません。運良く、土器を持ってきて魚が欲しい人が居れば三者で物々交換が成り立ちますが、そんな幸運は滅多に発生しないでしょう。

市が大きくなればマッチングする可能性が高まりますが、それでもマッチングしない場合もあります。それは供給するだけの存在。今日は魚がいっぱい取れたので市に持ってきたけど、特に欲しいモノはないということだってあり得ます。そんな人も市の流動性の為には受け入れるべきなのですが、市から何も持ち出さないのであれば取引が成り立ちません。そういうときに必要になって登場したのがお金なんではないかと思います。

魚を持ってきた人に、魚が欲しい人がお金を払って買う。魚を持ってきた人はモノの代わりにお金を受け取る。このときのお金は、買った人があとで代わりのモノを提供しますよという証文となります。つまり、お金とは本質的に借金の記録であって、台帳もしくは手形なんですね。当時はまだ紙が無いので、代わりに石ころとか貝殻を使っていたというわけです。お金を介することで三者取引もスムーズに行きますし、後日別のモノと交換できるということは、時間をずらした取引が行われているとも言えます。

ここで注意したいのは、お金はあくまでも借金の記録でしかないので、お金そのものは価値はないということです。価値があるのは魚とか肉とか土器です。お金はその魚や肉や土器と交換する権利の記録でしかありません。また、交換するとお金は消失します。返済すれば借金がなくなるのと同じですね。これがお金の本質だと思います。お金そのものに価値はなく、あくまでも価値があるのはお金と交換できるモノであるということ。

こうしてお金の登場によって取引が容易に行えるようになり市は活発になるわけですが、問題もあります。お金はそこらに転がっている石ころや貝殻を使っていますから、偽金が容易に作れます。何もモノを持ってきてないのに、石ころを拾ってきて市で買い物が出来てしまうわけですね。対策として二つの方法があります。一つは、そのもの自体が価値あるモノをお金として利用すること。もう一つは通貨発行権を権力者が独占することです。

そのもの自体が価値があるモノとは貴金属や宝石などですね。金や銀がよく使われました。金や銀は稀少かつ加工に便利という特性を持っているため、誰もが欲しがるモノです。また、化学変化を起こしにくいという特性から劣化しないという点も便利です。お米を通貨にする方法もありますが、貯めておいたら腐ったとかネズミに食べられたとかいう事態があり得ますからね。こうして金貨や銀貨が登場したわけですが、これは金や銀という誰もが欲しがるモノですので、お金というよりも実質的に物々交換と言っていいかと思います。いつでも誰とでもマッチングする便利なモノってことですね。

もう一つの通貨発行権の独占とは、すなわち国家が発行するわけですね。日本では和同開珎が最初と言われていますし、現代では日本銀行と造幣局のみが通貨の発行を行っています。日本銀行は日本政府からは独立しているので、中央銀行が通貨発行権をもっているということになります。

ここまでは自力で考えられたのですが、わからないのは中央銀行が作った紙幣や硬貨をどうやって市中に流通させるか。これがわからない。

よく言われるのは、中央銀行が市中の通貨流通量を増減させてインフレをコントロールするという話です。これは分かります。たとえば市中に魚が100匹あって、お金も100枚あったとします。魚1匹の値段はお金1枚ですね。次の日、同じく魚が100匹採れたとして、お金が1000枚に増えていたとします。魚1匹の価値はお金10枚になってしまいます。つまり、通貨流通量が増えることでインフレが発生していると。逆にお金を10枚に減らせば、お金1枚で魚が10匹買えますのでデフレになります。これはわかるんですが、どういう取引で中央銀行が市中に通貨を流通させるのかが分からない。

いくつか方法を考えることは出来ます。一番最初に思いつくのは両替。古くて使い古されたお金を新品に交換することです。これは実際にやっているでしょうが、両替をいくら繰り返したところで市中の通貨流通量は変わりません。そもそも、最初にお金を市中に提供した方法はどうやったんでしょうか。

中央銀行が購買する際にお金で支払うという方法もあります。国が国債を発行して公共事業を行うのとかと一緒ですね。これは借金の証拠としてお金を使うわけですので、お金の本来の定義とも合致しますので理解は出来ます。ただ、問題もあります。それは中央銀行や国の購買力が市中の通貨流通量を決定してしまうことです。国が市場の最大の消費者であるならばいいんですが、どの国でもそうとは限りません。公共事業を行いまくってる国ならそれで成り立ちますが、夜警国家ばりに小さな政府になってしまうと国の支出は非常に小さくなってしまうでしょう。また、国の借金ですからいずれは返さなければなりません。返すとその国の経済規模も小さくなってしまうのなら問題ですよねぇ。

民間に対して貸すという方法もあります。国が紙幣を刷って、それを民間に対して渡す代わりに、それは国に対する借金だよとする方法です。これでお金はいくらでも市中に流通させることは出来ますが、民間の借金は増える一方です。そしてその借金はいずれ返済されます。返済されたら、やっぱり国の経済規模が小さくなってしまいますよね。これまた問題です。

近代までは現金取引が基本でしたから通貨流通量で経済を制御できたでしょうが、近年はキャッシュレス決済が増えてきています。そもそも国も企業も現金を介した取引はほとんどしていなくて、銀行口座を通して行っています。お金の本質が借金の証跡であるなら、それが紙幣であろうが銀行口座の残高であろうが関係ないのですが、銀行口座の残高の裏付けはいったいどこにあるのでしょうか。その裏付けとして紙幣がどこかにあるとするならまだなんとなく分かるのですが、もしもどこにもないとしたら、そのお金は一体何をもとに発生した価値なのでしょうか。また、通貨を介さないとしたら中央銀行の制御を外れていることにもなりますので、その点も問題です。

現代では国家の発行する通貨以外にも通貨があります。一つは地域通貨。自治体や商店街などが、そこだけで通用する通貨を発行するケースです。すごくミニマムに話を持って行けば、子供が発行する肩たたき券も含めることが出来るでしょう。いずれも流通額が非常に少額ですから日本経済全体に対する影響度はほぼゼロです。そのため見過ごされているわけですが、発行額が大きくなって地域通貨経済圏が日本経済に対する影響を持つようになるなら、なんらかの規制がかけられるでしょうね。

もしくは、常に地域通貨は日本円と等価交換可能としておくか。つまり、市役所に地域通貨発行額に相当する準備金を積んでおくわけですね。地域通貨は日本円への交換券であって、取引は実質的に日本円を介して行っているので中央銀行の通貨発行権を侵害してはいないことになります。プリチャージの電子マネーなどもこれを同じですね。常に等価の日本円が存在する。

仮想通貨というのもあります。ビットコインとかいうやつですね。これは地域通貨よりもさらにやっかいで、マイニングによって誰にでも発行できてしまいます。中央銀行としてはとてもやっかいな代物でしょうね。

一方、仮想通貨はそれ自体が価値のあるモノであると解釈することも可能かと思います。金が国家の発行した金貨であろうとも、金山で掘ってきた金塊であろうとも、どちらも同じく金としての価値があるのと同じですね。金は実際に役に立つモノであるのに対して、仮想通貨はそれ自体は何の役にも立たないという点が違ってきますけれど。

だいぶ長くなってきたので、一旦ここまでのところをまとめます。生産は通貨とは独立して行われること。生産高が金額で表されるので通貨と連動してそうに感じますが、それはあくまでも中央銀行が通貨発行高を調整しているからそうなっているだけということ。そして、中央銀行がどうやって市中の通貨流通高をコントロールしているのか、その方法がわからないこと。

魔少年ビーティーに「詐欺師がこれ価値があるんだぜと言ってお金が生まれた」という台詞があります。私はこれがもしかしたらお金の本質なのではないかなぁという気がずっとしています。みんながお金に価値があると信じているから、実際にお金に価値が生じている。お金に価値があると言ったのは中央銀行ですから、つまりは中央銀行は詐欺師ってことになりますけれども。でも実際みんながお金に価値があると信じられなくなったら恐慌が起こるわけで、なんだか経済というのはすごく脆い基盤の上になりたっているのかなぁという気がしています。

(2023/5/11追記)

とりあえずお金に関する入門書でも読んでみるかと「池上彰のお金の学校(ISBN:978-4022950345)」という本を読んでみました。この本の、1限目:お金の歴史に私の疑問に対する答えがある程度書いてありました。

この本によりますと、お金の起源は共通の価値あるモノであり、それは米とか布が使われたと。稲(いね)が値(ね)の語源であるとか、幣には布という字が使われてると説明されるとなるほどなという気がします。中国では貝殻も使われたけど、これも貝殻自体に価値のある子安貝であって、それに由来してお金に関する漢字には貝の字が使われていると。

そうすると私が考えた最初のお金は証文であるというのは否定されるけれど、そうなのかな。はじめ人間ギャートルズに出てきたような石のお金ってのはウソだったんだろうかと思ってググってみると、ミクロネシア・ヤップ島で見つかった石のお金「フェイ」では巨大な石のお金があって、そこに所有権を彫って記載するという、まさに証文としての使い方がされていたそうです。これによりお金の起源証文説というのもあるそうですね。まあ、つまりはお金の起源もまだ実はよく解明されていないということかなと思います。

もう一つ、通貨の流通量コントロールについて。この本によると、国債の発行によって行われているとあります。濡れ手に粟の商売を「お金を刷っているようなものだ」と比喩しますが、通貨発行権を持っている中央銀行はまさにお金を刷ってるわけですよね。そして国債を発行できる国もお金を刷っているのと同様です。それは分かります。わからないのは、それをどうやって市中に流通させるのか。この本では発行した国債を銀行などに買ってもらって、そのあと銀行から日本銀行が国債を買い上げる際に紙幣を発行しているとあります。それだと国債と同等の額の紙幣を銀行から国に収めてますから、市中の流通量は増えてないのではないのかな。また、そこをおいておいたとしても、この話だと国内の紙幣流通量の総額は常に国債の発行額と一致することになります。政府の購買力が国の経済力のバロメーターということになり、国家が市中の最大消費者でならなくなってしまうわけですよね。何もかもを国家が行ってるのならともかく、民間サービスが発達している国においては非現実的なことですよね。また、国債が償還されると国の経済力が低下してしまうことにもなります。なんかおかしいなぁという気が今のところしてしまいます。

ということで、私の疑問に関連することは書かれてはいたのですが、理解には至りませんでした。引き続き調べてみようと思います。