地方創生の愚

2021/11/24作成

「限界都市 あなたの街が蝕まれる(ISBN:9784532263966)」を読みました。日本の人口は減少し、社会問題になるほど空き家が増えているのに、なぜいまだに住宅の新築が止まらないかについての調査と考察を行った本です。様々な論点がありますが、大きくは都市計画の権限を地方自治体に委譲したことにより、各地方自治体がそれぞれ最善を尽くした結果、合成の誤診として日本全体では非最適な結果を生んでしまったのではないだろうかと結論付けています。

これ読んで思ったんですが、今の日本の地方行政全てにおいて言えることじゃないかと思うんですよね。地方のことは地方が一番良くわかっている。地方がそれぞれ競争することによって発展すれば、日本全体も発展するという考え方が根底にあるわけですね。その自由競争の考え方は企業間では当たり前のことです。優れた企業が生き残るために自由な競争が行われるのが資本主義社会における原則ですね。この市場原理を地方自治にも導入したわけですが、そこには地方自治体と企業との違いに対する視点が抜け落ちているんじゃないかと思うんですよ。

企業と地方自治体との違いの一つは、企業は死ぬけれど、地方自治体は死なないということです。自由市場での競争に敗れた企業は倒産して市場から退場します。そして代わりに新しい企業が次々生まれてきます。そうした新陳代謝によって市場の健全性が保たれているのですが、地方自治体はどんなことがあっても死にません。廃村になって人口がゼロになっても、土地がある限り地方自治体は消滅しないのです。また新しい自治体が生まれることもありません。あり得るとしたら海を埋め立てるか、海底火山が噴火して新島が出来た時くらいでしょうか。それでも大抵は既存の自治体に組み込まれますね。

もう一つ企業と地方自治体との違いは、市場全体の成長があるかないかです。企業が健全な競争を行うと市場自体も成長します。市場に参加している企業がパイを分け合うわけですが、全体のパイ自体も大きくなるのです。一方、地方自治体が分け合うパイは日本全体であって、人口は衰退していっています。経済は成長の余地はありますが、ここ30年全く成長していません。ですので、地方自治体が競争するということは、すなわち他の自治体から奪うしかないということです。理屈としてはあるところから取る盗賊団と何ら変わりませんね。移住政策は他の自治体から住民を奪うことですし、ふるさと納税は他の自治体の住民税を奪うだけのことです。地方自治体がこれらの努力をいくら頑張ったところで、日本全体の成長には一切貢献しないのです。

本来なら衰退局面に入った日本では、どの自治体を残すか選択を行わなければなりません。地方自治体単位でみてもコンパクトシティを実現しなければなりません。でも本書でも書かれている通り、そのコンパクトシティすらまともに実現できてません。いまだに農地を潰して宅地開発され、地方自治体はそこに水道を通しバスを運行して財政を悪化させ続けているわけです。そりゃ農地を持ってる人にとってはコンパクトシティは総論賛成でも各論反対になるに決まってますよね。自分の取り分が減るわけですから。だから地方議員を動かしてなんとか自分の土地だけは市街化調整区域から外すように依頼される。各地方議員がそれぞれたくさんの地主から陳情されて、全部に対応した結果、今でも宅地開発が止まらないわけですね。各人の利益をそれぞれ守ろうと思ったら、そうなるのも当然です。政治というのは利害の調整機関なんですが、そこで利害調整を諦めて要求を全部通してしまっているのが現状と。そして、それを日本全体でも行っているのが今の日本の地方創生政策かなというように思いました。