友人とチャットしてる中でネタとして思いついたことなんですが、改めて考えてみるともしかして現実味のあるアイデアかもしれないと思ったので書き記しておきます。
なんのことかというと、いわゆる国民総背番号制って奴です。「オレは牛じゃねえぞー」って酔っ払いがインタビューで叫んでたやつですね。当時の住基ネットから進化して現在の日本ではマイナンバーになりましたが、いまだに社会で広く使われているとは言えない状況です。
この手の個人識別番号は当然ながら国が違えば制度も違います。アメリカ合衆国では社会保障番号というものが相当するそうですね。この手の国による附番は国の制約を受けますから、地球規模で個人を特定することは難しいわけです。国番号と国内番号を組み合わせたとしても、その国内番号のマスターデータはそれぞれの国ごとにしか持ってないわけですから、正しいかどうかを確認することすら容易ではありません。いくらでもなりすまし可能な番号なんて意味ないですよね。
そこで登場するのがApple IDとGoogleアカウントなわけです。これらのサービスは国家を超えて利用されていますし、世界人口に対する普及率は相当に高いです。おそらく人口カバー率で言えばどの国の国民番号よりもはるかに高いでしょう。Googleは地球政府が誕生した際にはそのシステムを作るのは我々だと言っているそうですしね。ならばもう地球市民の管理も任せてしまっていいんじゃないでしょうかね。いやまあ、実際にはさまざま問題があるってことも承知なんで、あくまでも思考実験でしかないのですが。
様々な問題にはAppleやGoogleがEvilである場合の対策とかも含まれるのですが、もっと単純な技術的な話として番号の信頼性もあります。同じ人間に複数の番号が附番されたりとか、架空の人物に附番されてしまったとかですね。そもそもこれらのIDの発行時には対象の人間の存在性とか唯一性なんて全くチェックしてませんから、実質発行し放題なわけです。そんなIDを信頼できるかって意見ももっともだとは思いますが、では全く信頼性がないかというとそうでもない。実際にIDが使われていく中で履歴を蓄積することで同一人物に割り振られた複数のIDは名寄せされますし、附番時には属性が全く分からなかった人物像も、個人を特定できる精度で属性が収集できます。つまり、政府などが発行するIDは附番時に信頼性が100%であることを保証するのに対して、AppleやGoogleのIDは発行時の信頼性は低く、でも使っていくうちに信頼性があがるって考え方であるとも言えるわけです。この考え方って附番もそうですが、システムを作るにあたって結構重要では無いですかね。最初から100%の信頼性を求めるとその実現には高いコストがかかります。一方、最初はそこそこの信頼性でいいやとなったら低コストで実現できます。このコストの中には実現までの時間も含みますから、低信頼性システムは早くから使い始められるわけですね。高信頼性システムは最初に使い始めるまでにも時間がかかって、なかなかシステムの恩恵を受けることができないわけです。
(2022/1/15追記)
たまたま見かけたこの時期でオペレーション・レジリエンス、略してオペ・レジという概念を知りました。完ぺきで障害の発生しない剛構造に対して、障害は発生するけど被害少なく迅速に回復する柔構造というのはなかなか秀逸な見方のようなきがします。上述した最初は不十分なIDシステムもオペ・レジに近しい発想かなという気がしました。
記事中に指摘されている、剛構造であれば完成して終わりでいいというのはウォーターフォール的モデルとも言えそうですね。そして常に改善のサイクルを回し続けるアジャイルが柔構造に対応すると。なるほど。そういう捉え方もあるか。