小泉改革の頃には規制は全て悪という風潮で規制緩和がずいぶん進みましたよね。極端な自由主義者は全ての規制をとっぱらえば理想の社会が到来すると主張するわけです。古典経済学の神の手によって市場が最適化を行うだろうと。でもそれは無理が起こるってことを人類はここ100年くらいで学習したわけで、規制も必要な部分はあるんじゃないかなぁという気がします。
ではなんでもかんでも規制すればいいのかっていうと、そういうわけでもない。国鉄は民営化しないほうがよかったかっていうと、個々の問題にはそれぞれ複雑な条件が入り乱れてるから一概には言えないですけどね。遵法闘争とかはどうかなとは思うけど、それはどちらかというと些末な問題であって、国営か民営かって議論の材料にはならないと思うし。
大ざっぱには、既得権益を守るための規制は撤廃した方がよくて、消費者を守るための規制は合った方がいいのかなと思います。飲食店に関する規制を撤廃して自由化したら、そこら中で食中毒が発生しますよね。自由主義者的には食中毒が発生した店はつぶれて淘汰されるから問題ないっていう考えだろうけれど、食中毒にぶちあたった人にはそんな理屈通らないですよねぇ。
あと、市場の安定性のためにある程度の規制が必要ってのもあるかなと。神の手によって最終的には市場は調和するとしても、それまでの過程には混乱があり得るわけで。その混乱に巻き込まれた人にとってはたまったものではないですよね。金融工学の発達によって金融市場は乱高下するようになって、金融市場は素人の手出しできない鉄火場になってしまったりもしましたし。
(2024/3/10追記)
「10年で日本は何にも変わってこなかった」「ひたすら新しいものを排除しようと...」 古市憲寿、ライドシェア導入遅れに嘆き
単純な規制緩和論者ってさすがに滅びたかなと思ったのですが意外と生き残っていました。というか、古市さんの年代を考えると新しく生まれているというところでしょうか。
規制緩和というと、小泉政権の時に盛んに言われていました。その悪しき例の一つがバス業界でした。極端に参入障壁を撤廃したところ低品質な業者が大量参入して価格破壊とともに安全基準も破壊され、悲惨な死亡事故が起こりました。「ライドシェアがイヤなら利用しなければよい」「評価システムがあるから従来のタクシーより安全」と簡単に言えるのでしょうか。事故で死亡してしまえばマイナス評価をすることも出来ませんよね。まあ、この手の規制緩和論者は「タクシーなら100パーセント安全とは限らない」という論法で反論されるのでしょうが、それってただの詭弁ですよねぇ。このあたりの話はマンションと民泊にも書いたとおりに私は考えています。
規制緩和論者は規制を特定の業者の既得権益を守るためにだけあると考えます。そういう面があることは否定しませんが、実際には消費者も、その業界で働く労働者も守っている面があるわけです。単純に規制をとっぱらったら、経済の原則によって真っ先に被害を被るのは消費者と労働者であることはバス業界の例で分かっていることではないですかね。