(注)このテキストは2019年12月に発行した同人誌(書いたのは私です)を転載したものです。
はじめに
以前、「オタクの老後、オタクの終活」という本を作りまして、オタクの老後や終活について書き連ねました。その本でもオタクコレクションの終活について少しまとめたのですが、今回そこだけを更に掘り下げてみたいと思います。
オタクが老後を迎えて終活としてオタクコレクションの行く末を考える場合はもちろんですが、転居や結婚介護などの生活環境の変化でオタクコレクションを強制的に処分せざるを得ないこともあります。オタク辞めする場合や、沼を移動する場合などもありますね。そうした際に、どういう方法があり得るでしょうか。
表紙は、明治大学の米沢嘉博記念図書館です。コミケ2代目代表の米沢氏は膨大なオタク資料を収集するコレクターでもありました。米沢氏の死後、コレクションは明治大学が引き取って図書館を設立し、オタク・サブカルの研究拠点となっています。この米沢嘉博記念図書館を表紙に持ってきたのは、オタクコレクションの終活として一つの理想形だと考えたからです。オタクコレクションが廃棄されることもなく、散逸することもなく、死蔵されることもなく、オタクコレクションがオタクコレクションのまま将来に渡って活用されているからです。
この理想形が成り立ったのは、米沢氏のオタクコレクションが質も量も唯一無二の価値を持っていたからです。米沢氏のネームバリューも影響としてはあるでしょう。ですので、米沢氏ほどの巨星オタクでない市井のオタクには、とても真似が出来ない方法ではあります。理想は理想として認めつつ、では市井のいちオタクとしてはどんなオタクコレクションの終活があるのかを考えるのが本書というわけです。
オタクコレクションの終活とは
最初に、本書でいうオタクコレクションの終活とはどういうことかを定義しておきます。もちろん人によって考え方は変わりますから、ここで書くのはあくまでも本書での定義です。
本書でのオタクコレクションの終活、それは価値のわかる人の手に渡ってオタクコレクションとしての価値を発揮し続けることです。
最も安易な方法は廃棄することです。安易ですが、最終手段でもあります。現実として最も多く採られている方法でもあるでしょう。廃棄されると、当然ながらオタクコレクションの価値はゼロになってしまいます。なので本書では廃棄は出来るだけ避けるべき最終手段と位置付けます。
価値のわかる人の手に渡るというのも大事なことです。価値がわからない人の手に渡っても、オタクコレクションは価値を発揮することが出来ません。また、価値のわからない人にとってはオタクコレクションはゴミ同然です。一旦は人手に渡って廃棄を免れたとしても、次の機会には廃棄される可能性が非常に高いでしょう。ですので価値のわからない人の手に渡ることも避けたいです。
本書では価値のわかる人にはハイエナも含めることにします。よくあるイメージとして、悪徳骨董屋が価値のわからない素人をだましてただ同然でお宝を引き取っていくというシーンがあります。人として悪徳骨董屋は許せないものはありますが、コレクションに対しては悪徳骨董屋は正義です。だってコレクションの本当の価値を知っているわけですから。著名なコレクターが亡くなると、全国からハイエナコレクターが集まってきて、遺族に嘘八百を並べ立ててコレクションを強奪していくそうです。これも人としては悪でしょう。でもコレクションの価値をわかっているという意味では正義なのです。ですので本書ではハイエナも認めます。ゴミとして廃棄するくらいならハイエナにくれてやった方が、コレクションにとってはよほど幸せなことだと思います。
最終的には、価値のわかる人の手を次々に渡り続けることで、何十年何百年もの後世にオタクコレクションを伝え続けられるといいのになと思います。オタクとオタクコレクションの素晴らしさがずっと後世まで伝えられるといいと思いませんか。
後世にものを残すとは
後世にものを残すことについて、個人的な考えというか理想を少し書き連ねてみます。
身の回りにあるなんでもないものであっても、百年経てば骨董品に、千年経てば第一級の文化資料になります。何故かというと、すべてのものに対して常に圧倒的な淘汰圧が働いていて、残そうとしないものは容易に全てが失われていくからです。なんでもない身の回りの品物で今日簡単に手に入るものでも、5年後10年後には入手が困難だったりします。30年50年と経てば、ほとんどのものは生産も流通も終了しているでしょう。みなさんが子供の頃に使っていた身の回りのもので、今でも容易に手に入るものってどれくらいありますか。当時の鉛筆や消しゴムなど、ほとんどが新品では入手できませんし、中古でも流通していません。そして昔に購入されたものも、大半が用途を果たしてゴミとして処分されてしまっています。淘汰圧とはそういうことです。
また、現代の人間の目からすると、こんな当たり前に身の回りにあるものを後世に伝えてもしょうがないよなと思うでしょう。珍しいものであっても、それは今自分にとって珍しいけれど、後世の人にとって珍しいとは限らないと思ってしまいます。ですが、ちょっと考えてみてください。例えば戦前くらいの時代の庶民が使っていた身の回りのもの。これらは当時は当たり前のものでしょうが、現代では骨董品屋の店先に並ぶ貴重品です。もっと時代を遡って江戸時代の庶民の使っていた道具。こうなったら骨董品屋どころか博物館に収められるほどの貴重な価値をもったりします。なぜなら、その時代のものは圧倒的な淘汰圧を受けて消失し残っていないからです。残っていることは、ただそれだけでも価値があることなのです。
後世に残すとなると、つい重要なもの貴重なものだけを残そうと考えてしまいます。ですが、後世の人にとって何が価値を持つかは現代の人間には判断できません。というか、後世の人にとっては残っているものが全てそれだけで価値があるのです。だってほとんどのものが残ってないのですから。とすれば、現代の人間にできることは、できるだけ多くのものを残そうとすることではないでしょうか。
美術品や骨董品の世界では比較的古いものもよく残っています。これらの品物が高値で取り引きされるから残りやすいという面はありますが、それは鶏卵問題であって、残っているから高価であるとも言えます。代々のコレクターは高価であるから大事にしたという面もあるでしょうが、彼らが美術品骨董品を後世に残そうと努力したからという面もあるのではないでしょうか。バブルの頃に、入手した名画を自分が死んだら棺桶に入れて焼いて欲しいと言った経営者が居ましたね。彼は経済人としては一流だったかもしれませんが、コレクターとしては下の下だと言えるでしょう。せっかくの人類の財産である名画を後世に残そうとしないわけですからね。
何百年もの歴史を持つ美術品骨董品に対して、オタクコレクションの歴史はまだまだ浅いです。オタクと呼ばれ始めた人たちが世代的には十分に存命ですから、オタクコレクションもほとんどが収集したオタク達自身の手元にあるのが現代です。しかし、今後オタクが高齢化するにつれてオタクコレクションは散逸の危機を迎えるわけです。これらの貴重なオタクコレクションを後世に残していけるかどうかはオタク自身の手に掛かっています。一つでも多くのオタクコレクションを後世に残せるといいなぁと思います。
[方法その1]売る
ここではオタクコレクションを専門の業者に売却する方法を取り上げます。
三つの売却方法
業者に売る場合、その方法は大きくわけで三種類あります。店頭に持ち込む方法、自宅まで出張してもらう方法、宅配便で送る方法です。
店頭で買い取ってもらう方法は、オタクコレクションが持ち運べるほどの量であればいいのですが、大抵は部屋を埋め尽くすほど膨大でしょう。小分けにして何度も何度も繰り返し持ち込む必要があります。
もう一つ問題になるのは、自宅の近くに買い取ってくれるお店があるかどうかです。都心部に住んでいるオタクにとってはあまり問題になりませんが、地方民オタクにとっては重大な問題です。唯一の買い取ってくれる店舗があまり評判のよくない業者だった場合でも選択の余地がありません。
自宅まで出張して買い取って貰う場合、オタクコレクションが膨大でも持ち運ぶ手間はかかりません。注意しないといけないのは、オタクコレクションの量を大まかにでも伝えておかないと、業者が小さな車で来てしまって運搬できない場合があることです。買取査定は原則としてその場で行われるのですが、コレクションが膨大だと査定が完了しない可能性もあります。その場合は一旦全て店舗に運んでもらって後日査定結果を聞くことになります。
出張買取も、店頭買取と同じ地方の問題があります。大抵の業者が買取エリアにしているのは店舗の周辺地域だけです。都心部に住んでいるオタクには問題なくても、地方には店舗が無いか、あっても選択肢が少ない可能性が高いです。
最後に宅配便で送る場合。これは発送作業をするのは自分自身になりますので、非常に手間がかかります。それでも店頭に持ち込むよりは楽ですけれど。宅配で送ったあとはしばらくしたら査定結果が連絡されますので、その内容でよければそのまま買取してもらいます。
宅配便買取のメリットは、全国全ての地域で利用できることです。地方や離島からだと到着まで日数がかかりますが、この場合は大きな問題ではないですね。大抵の宅配買取では送料は業者負担ですから、その点も地方民にとってありがたいことですね。
売り先の業者
どんな業者に売るか。まず考えられるのがブックオフに代表される新古書店です。古書店と言いつつ、本以外にもCDやDVD、フィギュアなどのオタクグッズも多く取り扱っています。ただ、新古書店では一般に査定を非常に単純化しているため、一冊一冊の丁寧な査定は期待できません。貸本時代の希少書を持ち込んだところで裁断機送りになるのが関の山でしょう。やーめーてー。同人誌などのISBNの無い本はまず買い取ってもらえません。市場に数多く流通している売れ筋のコミックスや書籍などを処分するのには適していますが、希少なコレクションには不適と言えるでしょう。
次に考えられるのが古書店です。新古書店も古書店の一種なのですが、あまりにも形態が違うので分けて考えます。古書店というのは、いわゆる古本屋さんのことですね。神田神保町にたくさんありますが、全国の街にもあります。近年急速に数を減らしていたりもしますが。
古書店の多くは個人経営の小規模店舗です。店主がその分野で高い専門性を持っているため、ジャンルが合致すれば質の高い査定が期待できます。言ってしまえば書籍の骨董屋さんですね。以後、古書店・骨董屋と書くことにします。古書店・骨董屋によって得意とするジャンルはまちまちですが、そのジャンルのオタクにとってはコレクション収集のために普段からその古書店・骨董屋に出入りしていたという方も多いでしょう。その場合は店選びも容易ですし、店主との信頼関係もある程度構築できているのではないでしょうか。
古書店・骨董屋のデメリットは、なんといっても個人店が多く地域性が非常に高くなってしまうことです。目指す古書店・骨董屋が近くになければ、売るのは容易ではありません。とはいえ、特定のジャンルでは全国に名の知られた古書店・骨董屋というのはあるものです。そうしたお店では宅配便で送るなどの方法に対応してくれることもあるでしょう。個人店である分だけ、融通がきく可能性も高いです。もちろん断られることもありますけけどね。
売り先としてオタクショップもあります。オタクグッズを専門に扱うお店はアニメイトを始めとして多くありますが、そのなかで中古品の買取と販売を行っている業者もあります。まんだらけとかが有名ですね。通販主体の駿河屋もこちらに入るでしょう。
こうしたオタクショップはオタクグッズに特化していますので、オタクコレクションの取り扱いにはある程度の信頼性があります。また、法人によって経営されていることが多いですから、古書店・骨董屋に比べると店舗の規模も大きく、全国に店舗を展開している業者もあります。そうした場合、地方民オタクにとっても比較的アクセスがしやすくなりますね。
オタクショップのなかで特に取り上げて紹介したいのは、まんだらけの生前見積というサービスです。これはまさにオタクコレクションの終活のためのサービスなのです。
まんだらけの生前見積は、オタクコレクションの買取見積だけを無料で行ってくれるサービスです。見積結果として見積書を発行してくれます。その場で買い取ってもらう必要はありません。ただ買取価格がわかるだけです。将来オタク本人もしくは家族が実際にまんだらけの売らなければならないわけではありません。また、まんだらけに売ったとしても見積通りの価格で買い取ってくれるわけでもありません。
見積書を発行してもらって何が嬉しいかというと、オタクコレクションに具体的に何があって、それがどれくらいの価値を持つかということを、オタク本人以外の人に対して客観視させることができるのです。この場合、客観視させる相手は大抵はオタクの家族ですね。オタク自身に万一のことがあった場合、家族にはオタクコレクションの価値はわからないのが通常です。しかし、この見積書があれば家族にも価値が伝わるわけです。これで、無理解な家族によってオタクコレクションが散逸・廃棄されるリスクを軽減できるわけです。
最後にリサイクルショップも挙げておきます。リサイクルショップは新古書店のよろず版というのが適当でしょうか。古書以外のものでも何でも買い取ってはくれますが、その査定価格がオタクコレクションの価値に見合っている保証はありません。もちろんお店によっては、査定担当者によっては、オタクコレクションの価値をわかってくれることもあるでしょう。しかし、買い取ったあとにリサイクルショップに買いに来る客に価値がわかるとも限りません。そうなると価値が分かる担当者でもオタクコレクションに適正な査定価格を付けることはできません。これは新古書店にも同じことが言えます。他にどこにも引き取ってもらえなかった残り物を引き取ってもらうにはリサイクルショップもありかもしれませんが、最初の選択肢には挙げないほうがよいかと思います。
[方法その2]寄贈する
オタクコレクションが有効に活用されるなら特に対価を求めないと言う考え方もあります。その場合は売却ではなく寄贈も選択肢に入ってきます。
オタクコレクションのうち、書籍やコミックスについては地元の公共図書館に寄付すればいいと思うかもしれません。が、残念ながらこれはあまり良い方法ではない可能性が非常に高いです。個々の事情は図書館ごとに変わってきますけれどね。
地元の公共図書館での寄贈受け入れが難しいのにはもちろん理由があります。公共図書館の蔵書傾向と寄贈書が合わないなどもありますが、最大の理由は受け入れる公共図書館のマンパワー不足です。寄贈を受けた書籍を一冊一冊書誌情報を調べ、書籍の特性と既存の蔵書や自図書館の傾向との兼ね合いを調べて受け入れるかどうか検討し、受け入れる場合には蔵書システムに登録し、蔵書印を押したりカバーを掛けたりといった受け入れ処理を行います。これらの作業を5冊10冊ならともかく、何千冊何万冊にも対して繰り返すわけです。そんなマンパワーの余っている公共図書館は日本中どこにもありません。結果として寄贈を受けた書籍の大半は倉庫に眠り、次々にやってくる新規の寄贈本を受け入れるために既存の寄贈本は収蔵を検討されることもなく一括廃棄されるというのが現実だそうです。そういった事情があるので一般からの書籍寄贈をそもそも受け入れていない公共図書館もあります。代替手段として、利用者同士が無料で不要本を交換できる機会を設けている公共図書館もあります。オタクコレクションをこうした交換所に持ち込むのも一つの方法ですが、もらっていく方は言っては悪いですが「ただでもらってきた本」として扱うわけですから、オタクコレクションに相応しい取り扱いをされることはあまり期待できません。
では専門図書館や博物館などはどうでしょうか。表紙にした米沢嘉博記念図書館もその一つですね。しかし、こうした専門図書館や博物館も事情はそれほど変わらないと考えてください。どこの専門図書館や博物館も、未整理の雑多な寄贈を受け入れて整理するだけのマンパワーが余っているわけではありません。一般には寄贈を受け付けていないところも多いです。とはいえ、専門図書館や博物館が希少資料を収集する方法の一つが寄贈であるのも間違いありません。既存の寄贈書の整理がある程度落ち着いたり、特別に予算がついたりなどして寄贈受付を再開する場合もありますので、チェックしてみる価値はあります。また、自分の持っているコレクションが本当に貴重でその専門図書館や博物館にとって有用であるという確信があるなら、直接相談してみるのも方法でしょう。
ちょっと変わった寄贈先
ちょっと変わった寄贈先として、国立国会図書館とNHK番組発掘プロジェクトに触れておきます。
国立国会図書館は納本制度により原則として国内の出版物を全て収集しています。原則としてと書きましたとおり、実際にはそれが守られているわけではありません。納本義務を果たしていない出版者もあります。また、一旦は納本されて収蔵されたとしても、日々資料として閲覧されていますので破損したり紛失したりということもあります。現実として、国立国会図書館内でも淘汰圧は発生しているわけですね。
ということで、国立国会図書館では納本とは別に欠落している資料の寄贈も受け付けています。欠落しているものだけですので、すでに収蔵しているものは対象外です。欠落しているかどうか調べるのも寄贈者です。段ボールに詰めて一式送って必要なものがあればどうぞというわけにはいきません。
とはいえ、オタクは自身のオタクコレクションの内容を把握していることでしょう。これはとても大事なので国立国会図書館でしっかりと保管して欲しいと思う場合は寄贈という方法もあるでしょう。
もうひとつはNHK番組発掘プロジェクトです。オタクコレクションの中にはテレビやラジオを録音録画したものも多くあることかと思います。書籍やビデオパッケージなどの購入した品物はオタク自身に所有権がありますので、譲渡も売却も自由です。しかし録音録画したものはそうはいきません。私的に視聴するためだけに録音録画が許されていますから、これらのコレクションは残念ながら廃棄するしかありません。ただ一つの例外の方法を除いては。
その例外の方法というのは著作権者自身に提供する方法です。この場合はNHKになりますね。日本でラジオの放送が始まったのは1925年、テレビは1953年です。初期の放送は全て生放送ですから、放送内容は当然ながら放送局にも残っていません。時代が進んで編集したマスターテープを放送するようになってからもしばらくは、放送が終わったらマスターテープには別の内容が上書きされていました。テープメディア自体が非常に高価だったからです。ですので、この時代の番組のマスターテープは放送局にもほとんど残っていません。昔の人気番組をパッケージにして発売したらと思っても、実現できない理由の一つとしてこういう事情もあるのです。
そこでNHK番組発掘プロジェクトでは視聴者からの録音録画テープの提供を呼びかけています。家庭用のビデオデッキが初めて発売されたのは1965年。それ以降の番組は家庭に録画テープが残っている可能性があります。実際、NHK番組発掘プロジェクトでは「プリンプリン物語」など多くの番組で視聴者などからの提供を受け、放送回のかなりの部分を回復しています。
近年はテレビ局内での体制も変わりましたので、マスターデータも保存されるようになっています。提供が呼びかけられているのは、おおよそ1970年年から1980年ころの番組になります。オタクコレクションの積みあがったビデオテープの山にこの時代の番組が含まれていたら、NHK番組発掘プロジェクトに提供してみてはいかがでしょうか。過去にはマスターテープが残っていなかったという事情はNHK以外のテレビ局も同じですが、提供を受け入れているかどうかはテレビ局によります。
[方法その3]譲る
ここでは業者を介さない個人間取引によって譲渡する方法を採り上げます。具体的にはネットフリマやネットオークションについてです。かつてはネットオークションといえばYahoo!オークション一強でしたが、近年はメルカリなどのスマホのフリマアプリも隆盛していてきています。
ネットオークションの大きなメリットは、中古業者に売却した場合よりも高値で売れる可能性があることです。中古業者の場合は業者自身の利益を確保するために、買取価格が低くなってしまうわけですね。ネットオークション業者に支払う手数料はありますが、一般には中古業者の取り分よりもはるかに安くつきます。
一方デメリットももちろんあります。それは圧倒的に手間がかかることです。ネットオークションへの出品から入札者の対応、入金管理や発送などの手間を全て自分自身で行わなければなりません。身の回りのちょっとした不要品を処分するくらいなら大した手間ではないかもしれませんが、膨大なオタクコレクションをネットオークションで一品一品ずつ処分するとすると、それ自体が仕事と言ってしまえるほどの手間が掛かってしまいます。それも当たり前の話で、要するにその手間をアウトソースするのが中古業者に売却するということでもあるからです。手元に入ってくるお金をとるか、それとも手間と時間をとるか。どっちがいいかということです。
[方法その4]博物館を建てる
田舎道をドライブしていると、小規模な私設博物館をみかけることがあります。そこに住むオタクが、自宅の一角を改装して博物館にして、自分自身が館長になって来館者にオタクコレクションを見せて説明しているわけです。
これはオタクライフとしては一つの究極の姿ではないかと思います。自分の大好きなオタクコレクションを多くの人に見てもらい、それを自分で解説するわけです。オタク冥利に尽きると言っても過言ではないでしょう。はじめにで、米沢嘉博記念図書館を理想形と書きましたので、私設博物館は自力で実現する理想形と思えるかもしれません。が、ちょっと待ってください。私設博物館を運営する館長はオタク自身なんです。本書のテーマはオタクコレクションの終活ですから、オタク自身はオタク活動を終息させているのです。つまり、私設博物館を運営することはできないですよね。
私設博物館は確かにオタクライフの究極の姿だと思います。でもそれはオタクが現役でオタク活動をしていることが前提です。オタク自身がもう現役オタクではなくなってしまったあとのオタクコレクションの終活としては残念ながら適用できないでしょう。例外は、博物館を自分の後を引きついて運営してくれる人や組織があって、その運営資金も準備が出来ている場合です。そこまでできれば理想形と言っていいでしょう。
[方法その5]託す
ここまで書いてきたオタクコレクションの終活は、どれもオタク自身の手で行うものでした。ここではオタク自身では終活を行わず、他の誰かに託すという方法を考えてみます。
託す相手としては、家族、オタク友達、専門業者が主に考えられます。順に考えていきましょう。
まず家族というのは、残念ながら託す相手としてはあまり適切ではありません。オタクとしては、自身が半生を掛けて築き上げた貴重なオタクコレクションを家族なら大切に扱ってくれると思いたいところです。ですが、オタク趣味に理解のない家族にとっては、どれだけ貴重なオタクコレクションであってもゴミ同然です。価値もわかりませんから、リサイクルショップにまとめて引き取ってもらったならまだマシで、ゴミとして捨てられることも十分にあり得ます。
また、特に配偶者や子供のいるオタクにとっては、家族の側からの視点を考えておくことは重要です。オタクがオタクライフを充実させてきたということは、それだけ家族との時間が限られたということでもあります。家族の視点からすると、オタク趣味は大切な配偶者や親を家族から奪ったものとして嫉妬の対象になり得るのです。この場合、オタクコレクションは憎悪の対象ですので、家族は価値がわかっていたとしても、むしろ価値をわかっているからこそ憎悪を晴らすためにわざと廃棄するという行動になることもあるのです。
以上のことから、家族というのはオタクコレクションを託す相手としては、残念ながらあまり頼りになりません。もちろん家族の有り様は家庭によって様々です。オタクが家族から愛されていて、オタク趣味にも理解があって、オタクコレクションも丁寧に処遇するという家族もあるでしょう。
次にオタク友達を考えます。オタクコレクションの価値をわかっているという意味では最も適任です。オタクコレクションを適切に処遇してくれることでしょう。実際、自分に万一のことがあったらオタクコレクションを任せるとオタク友達と約束してる方も多いかと思います。それはそれで美しい友情ですので、素晴らしいことかと思います。
ただ、これもまたいくつか問題があります。一つはオタク友達も大抵の場合は年代が近しいこと。ということは終活が必要な時期も近しいわけです。自身の死後、オタク友達はオタクコレクションの整理をしてくれるほど元気でしょうか。オタク友達が先に亡くなっているケースもありそうです。もちろん例外はありますよ。離れた年代のオタク友達が居る方もいるでしょう。自分よりも一世代以上若いオタク友達が居てオタクコレクションを託せるなら、それは全然ありでしょう。
もう一つは、オタク友達にもそれぞれの人生があり、オタク友達のオタクコレクションの終活の為に多くの時間を割くことは難しいという現実があります。オタクが半生を掛けて収集したオタクコレクションは膨大であり、一朝一夕に片づくものではありません。毎週末オタク友達の部屋に通って数時間を費やしてオタクコレクションの整理を行う。これを何週間にも渡って続けるということが出来るオタク友達が果たしてどれほどいるでしょうか。そこまでしてくれるオタク友達が居るとしたらそれは誇らしいことではありますが、一方でそこまでオタク友達に多くの負担を掛けるのは友達としてどうなのかと疑問にも思います。オタク友達にもオタク友達自身の人生があるわけですからね。
最後に専門業者に託すことを考えます。これも実際にすでに実践しているオタクも多いと思います。自分に万一のことがあったらこの業者に連絡をとってオタクコレクションを任せるようにと家族に伝えているなどです。まんだらけの生前見積もりもこちらに含まれますね。これまで見て来た通りオタクコレクションの処分はとても手間がかかりますが、専門業者はそれが仕事です。対価をオタクコレクションから得られることから行っている仕事ですから、そこに何の遠慮もいりません。また、専門業者ですからオタクコレクションの価値もよくわかっています。価値がわからないままに廃棄処分してしまうなどということもないでしょう。
[方法その6]廃棄する
冒頭に定義しましたが、本書のオタクコレクションの終活は価値のわかる人の手に渡すことです。そして最終的には長く後世にオタクコレクションを伝えることです。廃棄してしまってはこれらのことが実現できません。ですので廃棄するという手段は執るべきではないと考えています。
ですが、これまで考えてきたような方法がどれも実現できない場合。または、大半のオタクコレクションは無事に終活を行うことが出来たが、一部は終活できずに残ってしまったという場合。このような場合にとる最終手段として、廃棄はあるのかなと思います。ただし、廃棄は本当に最終手段です。一度廃棄してしまったら不可逆ですので、やっぱりとりやめということも出来ません。他の手段で終活が出来ないか、今一度考えてみてもらえないでしょうか。
一つ注意していただきたいのは、無価値と思ったオタクコレクションは本当に無価値なのかどうかです。
人間誰しもですが、自分の知ってることは過小評価し勝ちです。自分が持っているものはありふれていて、大した価値がないと思ったりもします。なんといっても今自分の目の前にあるわけですから、入手困難と言われてもピンとこなくても仕方ないでしょう。でも他人から見たら貴重なお宝ということもある話です。
また、業者に持ち込んで査定してもらったところ、大した価値は無いと言われることもあります。でもそれがすなわち無価値というわけでもありません。可能性の一つは、その業者の鑑定眼が曇っていること。業者とて完璧ではありません。得手不得手もありますので、常にどんな品物に対しても正確な査定がくだせるとは限りません。他の業者にも持ち込んでみるセカンドオピニオンをしてみてもいいでしょう。
もう一つは、現時点では本当にだぶついている場合。百年経てば骨董品に、千年経てば第一級の文化資料にと書きました。しかし一方で五十年位ではありふれていることもあるのです。これはオタクコレクションに限らず、コレクション一般に言えることです。それくらいの期間だと最初に収集したオタク自身がまだ存命でコレクションを保有しているんですね。しかし人間には寿命があります。50年を超えるとだんだん亡くなるコレクターも増えてきます。運良く2代目のコレクターの手に渡る品物は圧倒的に少なく、大半の品物は消失する運命にあります。つまり価値は50年を超えたあたりから急速に上昇するわけですね。現在50年経ってなくて無価値と判断されるものでも、あと何年か経てば急速に価値を持ち始めるわけです。ですので、今無価値と判断されたとしても、安易に廃棄することはできれば避けたいわけです。
[方法その7]あえて何もしない
ここまで様々なオタクコレクションの終活法を考えてきましたが、最後にあえて何もしない方法にも触れておきましょう。「答えなしも、また答えなり!」(by とどろけ!一番)ですね。
あえて何もしないことのメリットは、オタク自身は終生オタクコレクションを手放すことなく、オタクコレクションに包まれて暮らせることです。それこそがオタクが本来求めていたことですから、自分の人生を第一に考えるとむしろ当然の方法とも言えるでしょう。
一方、オタクコレクションはどうなりますでしょう。オタク本人が居なくなったあとは、家族が居れば家族がなんらかの処分をしてくれるでしょう。何もしない方法は、間接的な家族への託しと言えるかもしれません。しかし、オタク本人からコレクションの扱いについて説明を受けていない家族は、オタクコレクションをどう扱っていいかわかりません。結果、二束三文で売りに出されるか、ゴミとして処分されることになるでしょう。オタクコレクションを後世に残して欲しいという本書のテーマからは外れる結果になりますが、オタクコレクションの所有者はオタク自身。そのオタク自身がそう望むのであれば致し方ないでしょう。
終わりに
以上、ここまでオタクコレクションの終活について様々な方法を紹介したり考察したりしてきました。今回このような本をまとめましたのは、繰り返しになりますが私がオタクコレクションが少しでも多く、少しでも長く後世に伝えられるといいなと思っているからなんですね。
オタク趣味は立派な文化ですし、オタクコレクションは文化財です。もちろんオタク自身がそれらを愛でることが第一ですが、その何分の一かのおすそ分けを後世の人にも残せるといいなと思います。