(注)このテキストは2017年12月に発行した同人誌(書いたのは私です)を転載したものです。
はじめに
以前「44歳のハローワーク」というコピー本を作ったときは、周囲から「刺さるタイトルやなぁ」とツッコミを受けたのですが、今回のタイトルは「オタクの老後、オタクと終活」。もしかしたら前回以上に刺さるタイトルかもしれません。刺さることを狙ってるつもりはないんですが、なんでそんなタイトルになってしまうのか。まあいいや。
もちろん、タイトルだけを狙った出オチではありません。真面目にオタクの老後と終活を考えようという本です。
オタク第一世代とは1960年代生まれを指すそうです。具体的には1960年から1969年生まれですね。この本を書いている2017年時点で、57歳から48歳まで。定年延長とか年金支給繰り下げとかいろいろありますが、還暦である60歳を越えるあたりから老後がみえてくるというのは、まあそんなに間違った認識ではないでしょう。つまりオタク第一世代の人々が、数年先には老後に突入するわけです。この本では、そうしたオタクの人々が老後になることでどんなことが起こるのかを考察したいと思います。
もちろん、オタク第一世代以前にもオタクと言われる人は多数居たでしょう。そうした方々はすでに老後に突入しているでしょうし、終活を行ってお亡くなりになった方々もいるでしょう。ただ、やっぱり世代とひとくくりにされる程のボリュームは無かったと思うんです。なので、ボリュームをもった世代が老後に突入するタイミングで考えることは意義があるでしょう。
退職後の生活
まず単純な話として、退職すると自由になる時間が増えます。仕事が現役である間は、なんだかんだいっても仕事に割く時間の割合は多いです。オタク活動のために仕事は最低限にして毎日定時できっちり退勤しているって人にしても、やっぱり毎日8時間、週に40時間は仕事に時間をとられます。通勤とか休憩とかの時間を足すともっと多くなる。退職すると、その時間の制約が外れる。朝から晩までオタク三昧。最高じゃー。
世間一般の老後の話として、仕事人間だった人が老後にはすることが無くなって、あっという間にボケてしまうこともあるそうです。しかし、オタクにはそんな心配は一切ナッシング。観たいアニメ、やりたいゲーム、読みたいマンガ。そんなもん腐るほどあるわけです。これまでの仕事人生の中で積んできたコンテンツがいったいどれだけあると思ってるんですか。オタクにとって、することが無くて時間を持て余すなんてことはあるわけがありません。
言ってしまえば、退職後の生活って学生時代の再来みたいなもんです。一日中アニメ観てても、徹夜でゲームをプレイしても、問題はありませんでした(勉強せーよって問題はありましたが)。老後には、あの輝かしい時代が再びやってくるのですよ。ああ、オタクやっててよかった。オタク万歳。
もっとも、何もかもが学生時代と同等ではありません。10代20代と比べると60代において最も違うのは体力。徹夜しても平気でそのまま遊びに行けたような体力は、60代にはありません。そもそも徹夜が無理。遠征の移動に夜行バスの四列シートで一晩揺られても全く平気というような体力もありません。それは仕方がありませんが、そこを埋める財力があります。全員にあるとは限りませんが。徹夜で行動する体力が無いなら、前日入りしてホテルでゆっくり体を休めればいい。夜行バスに揺られる体力が無いなら、新幹線でも飛行機でも使えばいい。若者と同じ行動は出来ないかもしれませんが、財力でそのギャップを埋めることが出来る。そうやって工夫すれば、老後になってもオタク活動を行うことは十分に可能でしょう。
新しいことを始める時間
老後においては自由な時間が増えますが、それは何もコンテンツ消費だけに使えるわけではありません。新たなオタクスキルを習得することだって可能です。例えば「絵が描けるようになりたいなぁ」と思ってるオタクは多いことだと思います。もちろん私もその一人です。しかし実際に絵が描けるようになるには、それなりの練習時間が必要です。仕事の現役時代にはその時間の確保はなかなか難しい。
一万時間の法則というものがあります。法則と言っても経験則ですけれど。どんな分野でも、一人前になるには一万時間の練習が必要だそうです。プロのスポーツ選手になるにはそのスポーツの一万時間の練習が必要。プロの音楽家になるには音楽の練習が一万時間必要といったことですね。これはスポーツや音楽に限りません。一日8時間、年に250日働くとしたら、年間に2000時間になります。5年働けば、その仕事の経験時間は一万時間。新入社員も5年目くらいになれば一人前になってだいたいの業務を一人で任せられるようになる、というようにあてはめれば、ああなるほどと納得できるのではないでしょうか。
もちろん一万時間練習すれば自動的にプロになれるわけではありません。その分野の才能とか運とかいろいろな要素が重なってきます。でも、プロになる人で一万時間の練習をしなかった人ってのは、まずいないんですよね。
長々と説明をしましたが、要するにスキルを習得するのにはそれなりの長い時間の練習が必要です。プロの絵描きになるには一万時間の練習が必要でしょう。しかし、働きながらこの練習時間を確保するのはなかなか難しい。平日1時間、土日に3時間確保したとしても年間550時間。一万時間に達するには20年間続けないといけません。働きながら20年続けるというのは相当に大変なことですね。
しかし、引退して自由時間が出来れば、この練習にあてることも出来ます。一日に4時間としたら年間1400時間。7年間で一万時間に到達します。理屈の上では、60歳時点で全くの素人から始めて、67歳でプロの漫画家としてデビューできる可能性もあるわけです。これはなかなか夢のある話ではないでしょうか。プロまでのレベルには達しなくてもということであれば練習時間もぐっと少なくて済むでしょう。百時間二百時間の練習でも、ちょっと絵が描けるレベルに到達できるでしょう。これなら数ヶ月くらいで実現できます。世間一般にも、老後になって民謡を習う人とかいますけど、それのオタク版ですかね。
新たな分野の開拓
新たなスキルの獲得というと少々大変な話ではありますが、オタク活動は何も創作に限ったものではありません。コンテンツ消費も大きな活動です。こちらの分野においても、これまで時間の制約で諦めていたものってありませんか。私はたくさんあります。
興味はあるけど、手を出すと深みにはまりそうなので敬遠している分野って誰でも一つや二つはあるのではないでしょうか。それはアニメとかゲームとかの大きなくくりとは限らなくて、ゲームは好きで普段からプレイしてるけど洋ゲーは手を出さないようにしてるとか。アニメでも、ガンダムはファーストからZZまでは観てたけど、最近のガンダムシリーズは観てないとか。そういうのって手を出そうにも、時間の制約から手を出しにくかったりしますよね。でも老後なら大丈夫。時間はたっぷりあります。興味の赴くままに手を出しまくればいいんですよ。老後万歳(こればっか
他にも時間の使い方はあります。例えばコミケスタッフとかはどうでしょうか。いつもコミケに参加していてスタッフの方には感謝しまくっていて、自分も出来れば少しはお手伝いができればと思っていたりもするけれど、実際には仕事が忙しくてそこまで手が回らない。と書いてしまうと、忙しいのに時間を割いて活動してらっしゃるコミケスタッフの方に失礼ですが。気に障りましたら申し訳ありません。
そういう時間がとれなくてと思ってた人も、老後ならコミケスタッフをする時間もとれます。世間一般にも、退職して時間に余裕のできた人が地域の活動やボランティアに精を出すという話はよくありますが、それと似たような構造の話になります。
体力の衰えと老化
これまでオタクの老後の明るい面ばかりを書いてきましたが、当然明るい話ばかりではありません。暗い話だってあります。それは、なんといっても体力の衰えと老化でしょう。ま、当たり前の話なんですけどね。
今、40代50代くらいの人でも、若い頃に比べたら体力が落ちたなぁと実感することは多いと思います。顕著に現れていると思われるのが老眼。ご多分に漏れず、私も最近は小さい文字を見るときにしょっちゅう眼鏡を外すようになってます。若い頃には、自分がそういう風になるとは夢にも思っていませんでしたが、実際にそうなってしまうんですねぇ。しみじみ。
それでも60代に入った頃くらいでは、少々しんどくなってきたなぁ程度で済みますが、これが60代の後半とか70代に入ってくると、もっと大変になってきます。もちろん個人差はありますけど。
体力は明確に衰えますし、集中力だって衰えます。何時間も集中してアニメを見続けるなんてことも難しくなるでしょう。となると、アニメ視聴にしても何にしても、オタク活動を一日の中でどのように配分して体力と相談しながら行うかというのも重要になってきます。
そして、さらに衰えてきますと器官の機能が低下したり、最悪の場合停止するような事態にも発展します。視力が落ちてものがはっきり見えなくなってついには失明したり、聴力が衰えて聞こえにくくなって難聴になったりとかです。骨折などをきっかけに筋力が低下して出歩けなくなり、最悪寝たきりになったりとかということも生じます。
どうしても避けえない事故や病気で器官の機能低下や停止はありますが、兆候があるものもあります。老人の目の病気としては白内障と緑内障が代表的ですが、これらは何年もの時間をかけて進行して失明に至る病ですから、定期的に検診を受けて必要な治療を受けることで視力低下や失明を防ぐことは十分に可能です。ですので、定期的な検診は必須でしょう。
オタクのジャンルによって必要となる器官は様々ですが、もっとも多くのジャンルで必要となるのは視力だと思います。アニメやマンガを見るのに視力は必要ですし、ゲームだってネットだって視力がないと相当に辛いです。あ、念のために書いておきますが視力障害者をディスってるわけではないですからね。というように一般には視力が大切でしょうが、音楽オタクにとっては視力よりも聴力の方が大切でしょう。グルメオタクにとっては味覚が何よりも大切。糖尿病などになって食事制限を受けるとグルメオタクには辛いですね。ということで、豊かなオタク老後ライフを送るためにも、健康は大事です。
お金のこと
老後のお金に関しては、オタクも非オタクもそんなに事情は変わりません。オタク第一世代以降の人たちは基本的には老後を年金だけでは暮らしていけませんから、現役時代にひと財産を築いておくか、老後も働き続けるかのニ択になります。老後を慎ましやかに暮らしていくだけでしたらお金もそれほどかからないかもしれませんが、オタクに関してはどうしたって出費がかさむ部分があります。それにそなえてマネープランを非オタクよりもしっかりと立てておかないと、辛い老後が待っているかもしれません。
老人ホーム
漠然と、老後は老人ホームで暮らせばいいと思ってる方は多いと思います。というか、私もそう考えています。しかし、現実はなかなか厳しい。保育園の待機児童と同様に老人ホームの待機老人という話もあるのですが、その辺はオタクも非オタクも同様ですので本書では省きます。オタクならではの老人ホーム事情としては、次のニ点が問題になると予想します。
一つは、居住スペースが限られること。老人ホームにもいろいろなタイプがあるので一概には言えませんが、各人に割り当てられるスペースは広大とは言えません。基本的には身の回りのモノが置ければ十分という広さになりますかね。その場合、膨大なコレクションを保有するオタクにとっては置き場所が切実な問題になります。
もう一つ。置き場所以上に問題になるのが、プライバシーが制限されること。これも老人ホームのタイプによって様々ですが、老人ホームが老人ホームたらしめているのは、生活の一部の機能をスタッフの人に代わってもらえることです。必然的にスタッフの方はプライベートスペースに立ち入る機会が発生します。要介護状態になったら、どうやったって介護スタッフが立ち入るしかありませんしね。そうしたとき、見られて恥ずかしくないコレクションならいいですが、特殊な性癖などでコレクションを他人に見られたくない場合、老人ホームでは困ったことになりますね。もっとも、この問題は自宅で過ごしていても通いの介護スタッフが居れば同じことなので、要介護状態になるまでにコレクションを処分するか、見られても平気なように悟りを開いておくかのどちらかが必要になるでしょう。
オタクシェアハウス
老後を気の合う同士で共同生活をしましょうという話はよくあります。一人では寂しかったり、生活のすべてを一人でまかなうのは大変なので協力し合いましょうということですね。それのオタク版、オタクシェアハウスというのもあり得るでしょう。
オタク同士ですから、お互いに膨大なコレクションを持ち寄ることになります。それらをシェアすれば自力で集めるよりも遙かに容易にコレクションを増大させられます。また、オタク趣味同士が身近にずっと暮らしてるわけですから、毎日がオタク談義です。お互いにとって自宅ですから、毎日夜を徹してオタク談義をすることだって可能です。アニメだって一緒に視聴することで楽しみも増えることもあります。
というように夢いっぱいのオタクシェアハウスですが、一方でそう簡単にはいかない可能性ももちろんあります。一般のシェアハウスでも気の合わない人同士でケンカになって一緒に暮らせないということがありえますが、オタクというのは基本的に我の強いもの。ぶつかり合うリスクはより高くなるかもしれません。また、コレクションの扱いだって火種になります。これまでは自宅は自分だけのテリトリーとしてコレクションも守ることが出来ましたが、シェアハウスではそのテリトリー内に他人が入ってくるわけです。もちろん信頼できる同士で共同生活してるはずではありますが、万全の信頼がおけるとも限りません。要するに盗難のリスクがあるわけですね。また、コレクションを貸し借りする際に、コレクションの扱い方に差違があることもあります。というか、普通はあるでしょう。自分の貴重なコレクションがぞんざいに扱われてケンカになるということもあり得るでしょう。
ということで、オタク同士で共同生活をする際は、よくよく考えて行うことをお勧めします。
聖地への移住
老後の住まいについて少々暗い話を続けましたが、ここらで逆に明るい話を。あなたが今住んでいるところはどういう理由で決めましたか?
生まれたときからずっと同じところに住んでいるという方もいらっしゃるでしょうが、やぱり一番多いのは仕事の都合ではないでしょうか。職を得るために故郷を出て都会に移住し、そこで働いているというケースは多いと思います。これはつまり、退職して仕事という制約が外れれば住む場所は自由になるということです。
そこで故郷に帰るというのも大きな選択肢ですが、オタクなら聖地移住はどうでしょう。近年は聖地が増えすぎた感がありますが、それでも聖地は作品世界を全身で感じられる特別な場所です。すでに聖地巡礼を行ったことのある方も多いと思いますが、それを訪問だけでは終わらせず、いっそ住んでしまうというのが聖地移住です。どうですか、大洗に住んでみたいと思いませんか?
聖地移住の問題点は、移住先の聖地を一つに絞るのが難しいことでしょうか。たくさんの聖地のどれも選べないということであれば、聖地ジプシーになって、老後を旅で過ごすのも一興かもしれません。
作品の完結を見届けられるか
さて、オタクの老後において大きな問題として、応援している作品の最後を見届けられるかどうかがあります。あなたはHUNTER&HUNTERの最終回を見届けられる自信がありますか?ベルセルクはどうですか?白土三平原理主義者の私はカムイ伝が完結できるのかどうかとても気になるのですけれどね。もっとも、この業界には超人ロックとガラスの仮面という二大巨頭があるわけですが。このニ作品、ほんとどうなるんだろう。
作者が自分より年上の場合、作品が未完で終了するかもしれません。つまり、作者が完結させることが出来ないままに亡くなるということですね。長くオタクをやってると、そんな経験の一つや二つはあるでしょう。これは、ファンの万人にとって同じことですので、ある意味諦めがつく話です。そう簡単に納得はいかないですけどね。
一方、作者が年下の場合、自分が先に死ぬ可能性が高くなります。作者は存命で、その後きちんと作品を完結させたとしても、自分が先に死んでしまうと見届けられません。これはオタクの老後において切実な問題です。老後には新たな長編シリーズには手を出さない方がいいということですが、一方でそんなことで興味を押さえられるようならオタクになどなってないわけで、これは言ってもしょうがない話かもしれませんね。
お葬式
さてそろそろ終活に話を移していきましょう。あなたは自分のお葬式をどんな風に行いたいですか?死んだらそれでおしまいだから葬式なんてしなくていいよというのも一つの見識。もしくは自分はもう死んでるんだから、残された家族の好きにすればというのも見識。それはそれでいいのですが、自分なりのお葬式のこだわりがある場合、それがオタク要素の絡むモノだったらどんなお葬式が考えられるでしょうか。
例えばBGMとして好きなアニソンをかけまくるのはどうでしょう。参列者がみんなオタク趣味かどうかはともかく、故人の人となりが偲ばれるという意味では間違ってないでしょう。壁いっぱいにアニメポスターを貼るとか、そこら中にフィギュアを飾るとかでもいいかもしれません。いっそ遺影を好きなキャラとのツーショットにするという手もありますが、そのキャラが死んだわけではないから不適切ですかね。参列者にもそのキャラのファンが居たら、心中おだやかではないでしょうし。
お見送りの時に、好きなキャラのボイスで言葉をかけてもらえるなんてのがあると素敵かもしれません。その作品にうまく葬送のシーンがあったりすればいいのですが、そうそう都合よくもいかないか。それならいっそ、非常にお金はかかりますがキャラを演じてる声優さんに来ていただいて、生ボイスで見送っていただくというのはどうでしょうか。そんな贅沢をしたら、オタク本人はおちおち死んでられないかもしれませんが。
というようなことは生身の人間が演じているアニメキャラだから難しい話。しかし今の世にはボーカロイドがあります。基本は歌うものですが、頑張れば台詞を言わせることだってできるでしょう。いっそ初音ミクボイスで読経してもらうってのはどうでしょうか。今から打ち込んで用意しておくってのもいいかもしれませんよ。
あと、お葬式と言えば出棺。コレクションの中で、これだけは一緒に持って行きたいので棺に入れて欲しいというものがあれば、あらかじめ家族に伝えておく必要があります。
コレクションの行く末
お葬式も終わりました。終活ってまだなんかあるのと思うかもしれませんが、まだまだあるのですよ。というか、むしろここからが終活の本番です。
ここで取り上げるのはコレクションの処分について。オタクですから、大抵は膨大なコレクションを持っています。オタク本人の死後、そのコレクションはどうなるでしょう。
一般的な話として、骨董自慢のおじいちゃんが居たとします。生前、この骨董は貴重なもので大切にしろ、いざとなったら売ればひと財産になるからと散々言ってました。しかし、おじいちゃんの死後に骨董屋に鑑定してもらったところ、どれも近年の粗悪な贋作で価値などゼロ。という笑い話はよくあります。
しかし、オタクのコレクションの場合は話が変わってきます。まず、オタクの審美眼はその分野については本物です。ニセモノをつかんでいるということはまずあり得ません。しかし、その趣味を知らない遺族にとってはただのガラクタにしか見えません。貴重な書籍コレクションが二束三文でブックオフに売られしまったという話はいくらでもありますが、ブックオフならまだ再流通するだけマシ。そのまま廃品回収に出されて古紙として再生されてしまったら。。。ああ恐ろしい。書いてる私も恐ろしい。考えたくありませんね。ぶるぶるぶる。
これは何も書籍に限った話ではありません。ポスターだってフィギュアだって、その分野について知らない遺族にとってはただのおもちゃ。遺品整理業者を呼んで、全部ゴミとして処分してしまうということは十分に考えられます。ここまで読んで「ああああああああああああ」と雄叫びをあげてしまった方は、今からコレクションの処遇について手配しておいた方がよいでしょう。自分の死後のことは知らんと思える方でしたら、それはそれで見識かと。
さて、コレクションがゴミとして捨てられる以外にも問題はあります。竹熊健太郎氏のブログたけくまメモのコレクター考(10)コレクターの末路に以下のような記事がありました。
以前、高名なコレクターが死んだとき、こういうことが起こった。彼の死は瞬く間に同好の士に伝えられ、それこそ全国から、数十人の「自称親友」がお通夜に訪れたのである。「親友」たちは焼香もそこそこに、血走った目を部屋の隅々に走らせた。そして貴重なコレクションを確認するや、「形見分け」と称して持ってきた段ボールに次々と詰め込み始めたのである。中には堂々と軽トラックで乗り付けた奴もいたというから驚く。
価値のわからぬ家族にとっては、目の前で起こっている現象をどう解釈すればいいのか、混乱するばかりだろう。「故人には生前たいへんお世話になりました。つきましては、あそこにあるアレとアレ、私が以前貸したままになっていたグッズですので、こういう場所で大変恐縮ですがご返却いただけないでしょうか」と家族に向かって言ったコレクターが、返事を聞くのもそこそこに、アレとアレだけではなく、コレもソレも持って行ってしまうのである。
コレクションを奪いに来るのが別のコレクターなのか転売屋なのかはわかりませんが、一つ言えるのは彼らはコレクションの価値を知っているということです。少なくともゴミとして処分されることはなく、どこかでコレクションが第二の人生を送ることは確実でしょう。そういう意味ではよい話なのですが、どこの誰とも知らない人に自分のコレクションを丸ごと奪われるというのも、あまり心地よい話ではないでしょう。ですので、自分のコレクションがどんなものがあって、それはどのような方法で処分(特定の業者に売るとか、その分野の博物館に寄付するとか)を遺族がわかるように示しておくといいと思います。
家族に見せられるコレクションについてはそうやって目録を作って家族に処分を任せればいいのですが、全てのコレクションがそう出来るとは限りません。特殊な性癖などで、とてもコレクションを家族には見せられないという場合とかですね。とってもよくある話です。
こういう場合、同じ趣味のオタク仲間と「自分が死んだら家族より先に部屋に入ってコレクションを見つからないように隠してくれ」というような約束をしている方もいらっしゃると思います。その気持ちはとてもわかるのですが、実際のところとしてその約束は守られる可能性は低いと言わざるを得ない。
まず自分が死んだことを家族より先にオタク仲間が知ることが出来るのか。大抵は無理でしょう。家族と同居していても別に住んでいようとも、死去したことは家族が一番早くに知るものです。連絡先が残されていれば、その家族からようやくオタク仲間は死去情報を知ります。これでは家族に先んじてコレクションを隠すことはできません。
幸運にも家族よりも先に死去情報をゲットすることが出来たとしても、オタク部屋に立ち入ることが出来ません。合い鍵を預かっていたとしても、そこで入ってしまえば不法侵入です。家族からみれば、オタク仲間は単なる友達でしかないわけですから。そこでいくら生前の約束があると言ったところで、そんな怪しい話を信じて先に一人で部屋に入れてくれる遺族などいないでしょう。
ということで、オタク仲間にコレクションの隠蔽を任せるというのはなかなか難しい。これについてはよい解決策はなかなか思いつきません。家族には秘密でアパートを借りてコレクション部屋にするとかすればいいかもしれませんが、なかなかコストのかかることですし、そこにオタク仲間が遺族より先に入るのはやはり不法侵入です。オタク仲間との共同名義で借りておくという手はありますけどね。
さて最後にコレクションの有意義な行き先です。先ほども少し書きましたが、オタク専門店に売るのも有意義ですが、オタク分野の博物館に寄贈するという方法もあります。現代マンガ図書館とか米沢嘉博記念図書館とかが有名ですね。マンガ以外にも、レトロPCやフィギュアなどいろんなオタク分野の博物館が探せばあるようです。ただ、これらの博物館も無制限にコレクションを受け入れてくれるとは限りません。基本的に希少なものしか受け入れてもらえないと思った方がいいでしょう。受け入れた後は整理分類のコストがかかりますので、受け入れのキャパが決まっていることもあるでしょう。もちろん博物館側の保管場所という問題もあります。かつては受け入れていたけれど今は中止しているという場合もありますし、逆に受け入れを再開したということもあるでしょう。いくつか受け入れ先の候補をあげておいて、受け入れてもらえればラッキーというくらいに考えておくべきでしょうかね。その場合、受け入れてもらえなかった場合はどうしたいかの二番目三番目の選択肢も用意しておくと、よりよいかと思います。
デジタル遺産
前節では、物理的な姿形のあるコレクションについて書いてきましたが、現代においては資産はそれだけではありません。物理的な姿を持たないデジタルデータもあります。これらは本人の死後はデジタル遺産になります。
デジタル遺産の問題点は、その存在が遺族に認識されにくいことです。物理的な姿形のあるコレクションの場合は、目の前にその姿があります。遺族には価値はわからなくても、あることはわかります。しかし、デジタルデータについてはその所在を伝えておかないと全く存在を認識してもらえません。なので、デジタル資産のリストアップがまず第一の作業になります。パスワードなどの認証情報も添えておかないといけませんね。そして、それぞれについてどのような処遇をするのかを決めて、それを書き記しておくわけです。
ネット上の有料サービスの場合、放置しておくとオタク本人の死後は料金が支払われなくなりますので、滞納→退会→データ消去という流れになるでしょう。それがイヤなら、遺族に会員情報を引き継いでもらって、料金も支払い続けてもらう必要があります。無料サービスの場合は、サービスが続く限りは存在し続けるでしょう。これは逆に消えてくれなくて困るという場合もあり得ます。自分の死後は消して欲しいデータは、そのように書き残しておかないといけませんね。
一部のサービスでは死後管理人を設定できる場合があります。その場合、死後管理人が管理を引き継いでくれるので安心ですが、問題は死後管理人に自分の死去を伝える手段があるかどうかでしょうか。ネットでしかつながってない人の場合、遺族は伝えようにも伝える手段どころか、そもそもその人とのつながりすら知り得ないこともあります。となると、自分の死去情報を誰にどういう方法で伝えるかというのも指定しておかないといけませんね。twitterでしかつながってない人にはtwitterで伝えるしかありませんから、ログイン情報とツイートして欲しい内容を書き記しておくことですかね。
twitterに限りませんが、ネット上でしか繋がってない場合、自分の死去を知らせる手段が圧倒的に不足しています。そういえばあの人最近活動してないなぁと思われつつ、永遠に死去が知られないということも十分にありえます。それもまた、ネット時代のあり方の一つなのかもしれませんが。
さて、コレクションのところで遺族には見られたくない秘密のコレクションについて書きましたが、デジタル遺産にも当然に秘密にしたいものもあるでしょう。そうしたものは遺族宛のリストには載せなければいいのですが、なんらかのきっかけで遺族が存在を知ってしまうこともあり得ます。その場合にアクセス出来ないようにするには、そのサービスに限ってはパスワードをどこにも書き記さず記憶するようにする運用しかないでしょうか。ブラウザにすら覚えさせてはいけませんから、なかなか大変になりますけれど。
孤独死
最後に孤独死について少々書きましょう。孤独死とは、独居老人が人知れず亡くなって、長い時間が経ってから発見されるというようなことをここでは指すことにします。というか、孤独死にはあまり明確な定義がないようなんですね。言葉通りに解釈すれば、家族と暮らしていたとしても、たまたま一人で留守番してるときに急死すれば孤独死になってしまいますが、それは気にする必要はないと思いますし。
孤独死の問題自体はオタクも非オタクも関係ありません。死後長時間経過した死体は腐敗し、部屋の中のあらゆるモノを汚染します。ポイントはここですね。腐敗した死体は部屋の中のあらゆるモノを汚染します。当然、オタクのコレクションもです。あなたの大切なフィギュアに腐敗臭が染み着いたらどうしますか?ということですね。自分の死後も大切なコレクション達は有効な第二の人生を歩んで欲しいと思うのなら、孤独死というか死後長期に渡って発見されないことは避けないといけません。ではどうするかというと一般の孤独死対策と同じなんですけどね。社会から孤立せず、家族や近所の人との交流を持ち続けることになるわけなんですが、それってオタクには少々難しいかなぁと思わないでもないところ。オタク同士で相互訪問して確認できあう仕組みとかがあればいいんですけどね。
まとめ
ということで、いろいろな観点からオタクの老後と終活について考察してみました。って、偉そうに書いてますが実はこれって単なる私が想像しただけのことでしかないんですけどね。なんらかの調査とか文献からの書き写しとかがあるわけでなかく、ただ単に自分の見聞きした知識とそこからの想像を書いただけでなんで、的外れなことや漏れている事項は多々あると思います。そこは、本書をきっかけにしてみなさんが様々検討して知恵を出し合って、総合的にどうすればいいかという知見が共有できればいいなぁというように思います。なんせ、冒頭に書きましたとおり、オタク第一世代が老後に突入するのは間もなくですので。