自分自身の老いを受け入れるのは難しい

2021/1/5作成

「大家さんと僕 これから」で、大家さんが足を骨折して入院中に無理をして反対の足も骨折してしまったという話がありました。大家さんは「ばかなことをしてしまったわ」と仰っていましたが、果たして大家さんは愚かだから骨折してしまったのでしょうか。そうではなくて、人は自分自身の老いと衰えを自覚することが難しいことに起因するのではないかと思いましたので、ちょっと書いてみます。

人は生まれてから大人になるまでの成長期では、以前まで出来なかったことが出来るようになるという体験を積みます。大人になって成長が止まっても、訓練することによって出来るようになるという体験は続きます。しばらくやってなかったことが出来なくなることはありますが、その場合でも再訓練することである程度の回復もあります。

一方、老いによる衰えは、以前まで出来たことが出来なくなります。産まれてから数十年、こうした衰えは経験したことがありません。経験したことがなければ、それを自覚することも難しいです。もしかしたらトップアスリートなどは老いによる衰えを自覚しやすいのかもしれませんね。一般に30代くらいで年齢による衰えからトップレベルの競技を続けられなくなるという経験をしますから。老いによる衰えも、ああこれは以前経験したものととらえられるかもしれません。もしくは、後天的に病気や事故で障害を抱えることになった人も同様かもしれません。しかし、トップアスリートでもなく、後天的な障害を負うこともなかった人は、老いてから人生で初めて衰えを経験するわけです。これを自分自身のこととして自覚するのは、なかなか難しいことではないかと思います。

無理をして骨折してしまった大家さんに限りません。正月になればモチを喉に詰めてなくなる老人のニュースが繰り返されます。車を運転すれば、アクセルとブレーキを踏み間違えて暴走したというニュースも連日見かけます。これらの人も、人は年を取って衰えることがあるという知識はあったんだろうと思うんです。自分自身ももっと年をとって衰えたら、モチを食べるのを辞めようと思うし、車の運転もするべきではないだろうと思っていたんじゃないかと思うんです。でも、それは今ではないと判断していたんですね。だって実際にモチを食べたし車の運転だってしたんですから。それは何故かというと、以前までは出来ていたから。以前まで出来ていたことが出来なくなるという人生経験は積んだことが無いから。

私は何も、だからといって暴走運転する老人を許せと言ってるわけではありません。年を取って衰えたら運転するなというロジックで説得しても説得できないなということなんです。だって、彼らだってそのロジックには納得していますから。ただ、そのロジックが今の自分自身に適用されるということに納得いかないわけなんですね。そのことを踏まえて説得方法を考えないといけないなと思った次第です。また、自分自身に振り返った時に、老いと衰えに対して過剰になるくらい自覚的になっておかなければいけないなと思います。