昭和の頃には普通に使っていた言葉なのに、最近はすっかり使わなくなった、いわゆる死語のひとつに蒸発があるのかなと思います。ぐぐってみたら、最近は蒸発ではなく失踪を使うとあったんですが、蒸発と失踪では微妙に意味合いが違うような気がしないでもない。
蒸発はもともとは物理現象を表すことばですが、ここでの意味は人間が蒸発すること。普段通りに日常生活を送ってた人が、ある日突然行方を眩ますことを指します。おそらく大半は事故でしょうし、事件に巻き込まれてしまったということもあるでしょう。そして、なんらかの事情で家族や地域を捨ててしまう人も含まれます。蒸発という言葉からは、このそれまでの人間関係を全て捨ててしまう人のことをイメージしてしまいます。
さて、家族や地域を捨てた人はどこに行くのでしょうか。昭和の頃まではそういう人が過ごせる場所はいくつもありました。代表的なのは日雇い現場でしょう。どこの誰であるかなどは問われず、ただ単に頑強な体がその場にありさえすれば日雇いの仕事にありつける。そうして稼いで暮らしていくことも出来た。ふらっとやってきた流れ者を、身元も確かめることもなく住み込みで雇う話はドラマや小説でよく描かれていますので、実際の社会でもそういうことはあったのでしょう。ホームレスやドヤ街のルポでは、実際に故郷を捨ててからはそうして暮らしてきたという話も登場します。こうした人たちは故郷も名も捨てていますから、表だって暮らしていくことは難しいです。でも、社会の隙間とでもいうような空間で暮らしていくことは出来ました。
しかし、現代社会ではこういう暮らしはなかなか成り立ちません。日雇いであろうとも社会保険などの縛りが発生しますので、身元不明ではなかなか雇ってももらえません。その最たるものがタイトルにしましたマイナンバーですかね。日本では現時点ではマイナンバーはまだまだ限定的にしか使われていませんが、将来的にはマイナンバーが提示できないと社会のなかで居場所を確保することが全く出来なくなるようになるでしょう。それはそれで正しい未来ではあるとは思うのですが、では蒸発してしまうような人はどこに行けばいいのでしょうか。暮らしていける社会の隙間がなくなってしまったら、闇社会に落ちてしまうか自殺してしまうかしかないような気がします。
こう書くと私がマイナンバー反対派と思われるかもしれませんが、そうではありません。個人的にはマイナンバーによる社会の効率化と安全化は進めるべきだとは思っています。しかし、社会の枠から外れてしまった人の居場所もどこかに細々とでもいいので、あるといいのになぁと思ったりもします。
実際に蒸発された側としては、無責任に全てを放り出して逃げだされて、その後始末を全部おっかぶせられますので、とても許せないということもあるかと思います。それはそれでもっともだとも思うのですが、一方で蒸発というのは人生からの逃げ道だとも言えると思うんです。どうしても今の人生をうまく過ごすことが出来ない。かといって人生は一度きりなんで生まれ変わることなんて出来ない。そうしたときに、今の人生から逃げ出して、大きなマイナスからだけども再出発する道がある、というのは人によっては救いになるのではないかなぁと思ったりもするのです。