読書感想文陰謀論

2012/8/18作成

夏休みです。

大人にはありませんが、子供の夏休みには宿題というものがあります。その中でも有名なものに読書感想文というものがあります。今回はこれを槍玉(?)にあげてみたいと思います。

まず前提として、読書という行為は一般にいいこととされていると思います。知識を広げたり感性を養ったり言語能力を高めたりと。学習効果の高い行為だと思います。

読書感想文を書くことも、一般にはいいことだと思います。感じたことを文章としてあらわすことは有益な作文能力の訓練になります。

ただ、問題は読書という行為に比べて、読書感想文を書くという行為は格段に難易度が高いということにあるのではないかと思います。大人だって、読書感想文を書くのって結構難しいですよね(私だけ?)。

読書感想文を書くのが難しいわけですが、読書するたびに読書感想文を書くことを求められると、多分読書するということが嫌いになると思います。当然の流れだと思います。ここでもったいないのは、読書はそれ単独でも価値のある行為なのに、読書感想文という行為と結び付けられることによって、読書自体が嫌いになってしまうということ。これは大変にもったいないと言わざるを得ないでしょう。

読書をした。面白かった。心を動かされた。新たな知識が手に入った。何も読書感想文を書かなくても、読書で学習効果は十分にあります。読書感想文も書ければよりよいかもしれませんが、書けないからといって読書の価値が減ずることはありません。読書と読書感想文は別個のものなのです。

自分が子供の頃にも読書感想文は嫌いでしたので余計にそう思うのかもしれませんが、読書感想文という宿題は文部科学省が子供を読書嫌いにさせるための陰謀ではないかとすら思ってしまいます。読書するだけで十分で、読書感想文は書かなくてもいいじゃないかということを提言いたします。もちろん、読書感想文を書ける、書きたいという人は書いても構わないんですよ。