自分のベストで見積もってしまう話

2019/3/3作成

ある程度長く生きていろんな経験を積んでくると、成功体験がかえって阻害することがあるのかなという話です。

長く仕事をしていると、誰しも成功体験の一つや二つあると思います。 大成功とか世間的に成果とは見なされなかったとしても、自分としてはよくやったなと思うことって一つや二つはありますよね。 すごいピンチになったけれど、すごい集中力を発揮してとても間に合わないと思っていた仕事が間に合ったとか。 学生さんなら、入試前の一ヶ月毎日10時間勉強して偏差値を10上げてとても無理と思ってたランクの学校に合格したとか。

で、そういう成功体験があると、その後の人生においてピンチになったときに「あのときあれだけ頑張れたんだから、それと同じくらい頑張ればなんとかなる」って思っちゃうんですね。 人間って愚かなことに。 いやまあ、人間はと一般化するのは問題かな。 私という愚かな人間はですね。 そのものすごい成功体験って、長い人生の中での最高成績であって、最高であるということは一度しか実現できていない。 つまり、今同じことが出来るとは限らないし、多分出来ないわけなんですね。 実際には年をとって体力的にも衰えてきてるってのもあったりしますし。

仕事がせっぱ詰まって大変なことになってるけど、以前の成功体験をイメージして、あれと同じくらい頑張ればなんとかなるはずだ、って思ってしまって、結局出来なくて失敗してしまうってのが、最近立て続けに起こしてしまって、ちょっと反省しなきゃいかんよなぁと思ったので、こうして書き起こしてみました。

ちなみに、この愚かさって私だけではなくて手塚治虫もそうだったらしいんですね。 若い頃に尋常じゃない量の原稿を仕上げた体験があるから、年を取って体力的に衰えてからも同じくらいの量の仕事を引き受けてしまった。 でも実際にはできなくて原稿を落としてしまうことがたびたびあった。 というようなことをたけくまメモで読んだことがあった気がするのですが、今探しても見つからない。 また見つけたらここに貼っておきます。

まあ、手塚治虫のような頂点の天才と、底辺の私を一緒に論じるのってのもひどい話なんですけどね。 同列で語るなよと。