「本当にやりたいこと」のウソ

2012/8/8作成

以前もどこかで書いたような気もするけれど、まあいいか。

最近とあるところで「本当にやりたい事を探している」という話を聞きました。似たような言説に「本当の自分らしさ」とかもあると思いますが、私はこうした言葉はほとんどの凡人にとって有害だと思っています。夢をあきらめるとかあきらめないとかで書いたことにも通じるところもあるのですが。

まず大前提として、ほとんどの凡人には「本当にやりたいこと」なんてものは存在しないんだと思うんですよ。そこまで強く思い入れられることが見つけられるというのは、すでに凡人ではない。例えば今はロンドンオリンピックが開催されていますが、オリンピックに出場するくらいの人は「本当にやりたいこと」をやっているんじゃないかと思います。人生の大半をその競技に掛けているでしょう。ではほとんどの凡人の人は、彼らと同じくらいに「自分のやりたいこと」に対して真摯に取り組んでいけますか?多分出来ないでしょう。出来ないことは別に恥じることではないんです。それが普通ですから。オリンピック代表選手の方が特殊なんです。そこまで強く夢を見て、自分を厳しく律するというのは並大抵のことではありません。

だからですね、凡人は「本当にやりたいこと」なんてのを探す必要はないんだと思うんです。ほどほどにやりたいと思うことを見つけて、ほどほどに取り組んで、ほどほどの人生を送る。なんだか夢の無い話のような感じがしますが、それくらいに身の程を知るというのは処世術としてそれほど間違っていないと思うんです。

いや、それでも「俺はこれに人生を掛ける!たとえ失敗しても本望」と本気で思えるなら、それは別に構わないですよ。あなたの人生ですから、好きにすればいいんです。私が気にしているのは、他人に対して「本当にやりたいことを見つけましょう」と気安く勧めている大人の方です。そういう人は罪深いと思います。

繰り返しますが、ほとんどの凡人にとっては「本当にやりたいこと」なんてものは見つけられないし、それにたいして人生を掛けて取り組むほどの努力にも耐えられません。それなのに「本当にやりたいことを見つけましょう」なんて言われたら、終わることの無いループにはまり込んで抜け出せなくなってしまい、それこそ人生を浪費してしまうことになってしまうでしょう。そんなことに時間を浪費するくらいなら、ほどほどのところで見切りをつけて人生を楽しんだ方がいいんじゃないかと私は思うんです。

もう一つ、「本当にやりたいこと」の危険なところは、努力していない現在の自分に対する免罪符として機能してしまうところです。今は「本当にやりたいこと」を見つけていないから真摯な努力も出来てないので、さえない人生を送っている。しかし、自分が本気を出せば凄いことが出来るはずだ。本気を出すための「本当にやりたいこと」を見つけられていないだけだ、と思い込んで人生を無為に過ごしてしまう危険性。そんな青い鳥はどこを探したっていません。

ということで、凡人は「本当にやりたいこと」なんて言説には惑わされないようにするのがいいのではないかと私は思います。

(2021/4/5追記)

「最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常」という本を読みまして。この本の受け止め方としては様々あるとは思うんですが、私が感じたのは「この人たちって本当にやりたいことを息をするように自然にしてるなぁ」ということ。

上にも書きましたが、私は凡人には本当にやりたいことなんてないんだと思ってます。一生懸命自己分析して「ではこれを自分の本当のやりたいことに決めました。今日から一生懸命取り組みます」ってのはうそだと思ってます。だって、東京芸大の人たちって多分誰もそんな自己分析してないと思いますよ。気が付いたら取り組んでた。それをするのがあまりにも自然で、自分にとって本当にやりたいことかどうかなんて考えたこともない。っていう人たちではないかと思うんですよ。

むしろ、凡人にとっては本当にやりたいことなんて見つからないってことをまず認めることがスタート地点なんじゃないでしょうかね。誰しも若いころは自分も何かひとかどの人物に成れると信じていたころがあったかと思います。でもそんな思い通りに人生はいかない。自分が凡庸であるということを認めて、そのうえでどうするか考えるのが本当のスタート地点でしょう。そこでいつまでも「本当にやりたいことを見つけなさい」って言ってると、やりたいことを探してるだけで人生が終わってしまう。なので「本当にやりたいことを見つけなさい」という自己啓発は、むしろほとんどの凡人には有害だと思ってます。そして本当にやりたいことを見つけている一部の天才は、いちいち探すことなどなくとっくに前に進んでいます。つまり「本当にやりたいことを見つけなさい」って言説は誰にとっても有効ではないんだと思います。

まあ、若い人にはいいとは思うんですよ。こういう言説も。まだまだ変化する可能性を秘めているし。若いうちに、あなたの人生は所詮は大したもんじゃないですよなんて伝えるのもひどい話ですし、それが事実であっても受け入れるのは難しいですよね。でもある程度の年齢を経た大人に対して「あなたもまだまだこれから輝けます」ってのは、罪深い言葉だなぁと思うわけですよ。

(2021/4/30追記)

「その瞬間『M-1』で優勝すると決めました」。野田クリスタルに火をつけた楽屋での一言

もともと優秀な方だったのだろうとは思いますが、楽屋で先輩芸人が何気なくはなった一言で心に火がついて、ついに頂点に立つことができた。しかもこれ凄いのは、先輩芸人の言葉って10年前のことなんですね。それ以来10年間心の火が燃え続けてる。

ではこの方も天才の側の人だったのねで片づけてもいいんですが、そうではないのかもしれない。それが心に火が付くということ。むしろ天才か天才でないかの分け目って、この心に火がつくかどうかではないかとも思うんですよ。今まで凡人と思ってた人も、心に火がつくことによって天才側になることができる。あ、繰り返しますが野田クリスタルさんはもともと天才側の人だったとは思いますが。

凡人も心に火が付くことで天才側にいくことができる。夢のある話ではありますが、ではどうやって心に火をつければいいのか。塾のCMで「僕のやる気スイッチはどこですか」ってのがありますが、それと同じですかね。やる気スイッチが入る、心に火が付く。それによって凡人では出来ないような努力を継続できるようになって高みに上ることができる。でもそのスイッチのありかはなかなかわからない。多分誰にも分からないと思うんですよ。野田クリスタルさんの場合でも、別の先輩に同じ言葉をかけられても、心に火がつかなかったかもしれない。もしかしたら、同じ先輩が別の日にも同じ言葉を発してたかもしれないけど、その時には火がつかなかった。でもその日は何かの組み合わせがあって、心に火が付いた。結局心に火がつくのって、巡り合わせであって言ってしまえば偶然なんですよね。就活業者の用意したワークシートを埋めて自己分析しても決して見つからない。そう思います。