AIに仕事を奪われて失職するは本当か

2018/9/10作成

AIが導入されたらお前の仕事が楽になるんじゃないお前がいらなくなるんだよ問題について

たまたまこういう記事を見かけましたので。内容は、よくある「AIに職を奪われて失職したらどうしよう」という心配です。

「人間をAIに置き換えたら利益は全て資本家のモノ」はそうなんですが、AIに置き換えて生産コストが下がると資本主義の社会では売価も下がるので、利益も減るんですけどね。

「AIに職を奪われる能無しのあなたにアンドロイドを所有する自由を与えて、資本家に何かメリットがあるのですか?」なんですが、無能を全て貧困層に叩き落してしまうと無敵の人になってしまって社会が不安定化するので、暮らしていける程度の福祉を与えるってのも資本家にとってはメリットだったりするんですけどね。

というような細かい話はおいといて、全般的にですが機械に職を奪われるというのは人間の歴史において急に起こったことではありません。昔から繰り返されていることです。極論、道具というのは全てそれ。石包丁や矢じりのような石器だって、人間の手で行うよりも何倍もの効率を誇ります。もっと近代になっても、自動織機によって多数の機織り職人が職を追われましたし、自動車の発明と普及によって御者をはじめとする馬車産業に従事していた人はほぼ全員が失職しました。今回は石器や機械ではなくAIである。ただそれだけです。

AIに職を奪われるという話に対する楽観的な反論は「創造的な仕事は人間に残される」と「無くなった代わりに新たな職業が発生するため人類の仕事はなくならない」でしょう。でも、そのどちらもどうでしょうかね。創造的な仕事と言って思いつくのは作家や作曲家などの職業ですが、これらに対するAIも急速に発展しています。新聞記事くらいならAIで自動生成というのは、おそらくここ数年で一気に実用化するでしょう。創造的な仕事だからと言って人間にとって安泰とは言えません。

常に新しい職業が発生するというのは、これまでの人類の歴史ではそうでした。これからもそうであるとは限りませんが。今後どうなるかは正直わからないですね。

ただまあ、AIのような何かに職を奪われるというのは人類史上において初めてのことではなく、これまで繰り返し起こってきたのは確かです。なので、AIの登場を人類史上初の脅威のように語るのは、ラッダイト運動みたいなもののような印象を受けます。

個人的には、問題はそこではないと思うんですね。AIが職を奪っても、新しい職業が発生すれば資本家ではない労働者はこれからも職にありつくことができる。そして、新しい職業にまず人間が従事するのはなぜかというと、人間というのがとてつもなく汎用性が高い道具だからなんですね。機械もAIも基本的には専用用途に作られたものであって、特定の仕事を効率よくこなせるというものにすぎません。しかし、人間は前例がないものであっても短期間の訓練で習得してこなせるようになるのです。そこが人間がもっている機械やAIに対するアドバンテージ。

だた、このアドバンテージも永遠ではありません。機械やAIが人間を超える汎用性を獲得するかもしれないからです。それがすなわちシンギュラリティ。シンギュラリティが実現すると、初めての仕事でもAIが人間よりも上手にこなすようになってしまいます。なので、人間にはもう次の仕事は回ってきません。AIに職を奪われるかどうかはそんなに心配しなくてもいいと思いますが、シンギュラリティによって職を奪われるようになるのは心配した方がいいかもしれない。AIが次々に人間の職を奪い始めるのはおそらくここ数年から10数年くらいのことでしょう。シンギュラリティはそれよりはもうちょっと先にならないと実現しないでしょうけれど、でも遠い未来のことでもなさそうな気もします。あなたや私が生きている間にシンギュラリティは果たして達成されるのでしょうかね。どうなんでしょう。

(2018/10/23追記)

「単純な仕事はAIに奪われる」というけど「高度だと思っている仕事ほどAIに置きかわるかもよ」と思ってしまう→「医者や弁護士が消えそう」「最後に残るのは洗濯たたみ」という意見

中段の以下のコメントにそりゃそうだと激しく首肯しましたわけで。

道路工事とかで赤くて光る棒を振る係の
あれこそ振り機にやらせたらいいじゃん

そういう会社の人に聞いたら
機械より人間のほうが安いんですって

そりゃまそうですよね。技術的にAIに置き換え可能かどうかと、経済的にAIに置き換えてメリットがあるかどうかは別問題と。長期的にはコスト低減圧力が常にかかり続けるAIに対して、コストが基本的に下がらない(食わなきゃいけないので)人間はいつかは置き換えられるでしょうけども。ゴマの油のように人間を絞りまくってコスト下げるだろうって話もあるんですけどね。

(2019/12/17追記)

生産性向上は「個人の努力」より「経営判断」で成し遂げられる、という話。

こんな記事を読みまして。主題は生産性は経営課題であるということなんだけど、その前段の話もいくつか興味深い。

例に出てくる生産性向上に抵抗する国鉄職員は、AI導入で失職を恐れる人たちと同じではないかな。それに対して筆者は生産性向上の恩恵は労働者こそ最も受けられるのだから、恐れるのは愚かだと説明してる。

でもそれってどうかな。生産性向上とその恩恵って、例えば農機具や肥料が発達して農産物の収穫が飛躍的に増えたこともそうですよね。結果として農産物は豊富に取れるようになって安価になった。昔はコメを食べられるのは一部の特権階級だけだったのが、今や庶民でも当たり前に食べられる。これが生産性向上の恩恵を庶民も受けられるってことだよね。

でもそれはマクロの話ですよね。長期的に、社会全体でみた場合に、庶民にも恩恵が返ってくる。でも、ミクロには失職する人も出てくるよね。農機具の導入によって失職した小作農はいただろうし、例にあった国鉄だって民営化に伴い大量の人員整理を行っています。だから個人として生産性向上に抵抗するのは、それも仕方ないことかなというようにも思った。AIの登場によってある職業が消失し新たな職業が誕生したとしても、中高年になって新たなスキル獲得が難しくて職にありつけないというのは、個々人の話としてはあり得るわけで。