写真は数が正義

2017/6/8作成

先日、親戚の結婚式がありましたので出席してきました。特に頼まれたわけでもないのですが、なんとなく一眼レフを持って行ったので、気が向くままに適当にシャッターを切ってきました。もちろん、式場で手配したプロのカメラマンの方がちゃんとした写真は撮ってらっしゃいますので、それとは別の素人のスナップ写真です。

帰宅してから写真を整理してたのですが、いやまあほんとろくでもない写真ばっかり。なんとか600ショットほど撮ってたのですが、まともに鑑賞に耐えるのって数分の一もあるでしょうか。ピンぼけや手ぶれとかの写真になってないのもありますが、シャッターチャンスを逃したのとか、そもそも構図がおかしくてちゃんと対象が写ってないのとか、まあひどい写真のオンパレードです。

そこでつくづく思ったのですが、写真は数だなということです。600枚のうちの100枚がなんとか鑑賞に耐えられるものだとして、ではその100枚だけを撮っていればよかったのかというと、多分それは違うんですよね。凄腕のプロカメラマンだとそんなチョイスも可能かもしれませんが、素人にそんな選別は不可能です。100ショットしか撮らなかったとしたら、多分見るに耐える写真は10数枚程度しかないでしょう。成功率が一定だと仮定したら、とにかく撮りまくった方が成功写真の数が増えることが期待できます。

写真を撮ってると、よく「こんなシーンを撮ってもしょうがないよなぁ」と思う瞬間ってあるんですが、多分それが負けの第一歩なんでしょう。例えは悪いですが、戦場で引き金を引くのをためらったら死があるのみです。戦場で引き金を引くのと同じくらいに躊躇無くシャッターを押さなければならないのではないかなと思います。

そうは言ってもフィルム時代はフィルム代と現像代プリント代が気になりますから、シャッターを押しまくるってことはできませんでした。でも今はデジタル時代です。フィルム代も現像代もかかりません。プリント代は今でもかかりますが、プリントしなくてもPCやスマホで閲覧するだけで済ませればプリント代も不要です。つまりコストゼロでシャッターが押しまくれるようになったわけですね。ならば押しまくるしかないでしょう。プロだって押さえでシャッターを押しまくるわけですから、腕の劣る素人が腕をカバーできる手段はシャッターを押すことしかないわけですからね。言い換えれば、躊躇無くシャッターを押せることも写真の腕の一部なのかもしれません。

もちろん、何も考えずにひたすら連写してもしょうがないのですが、それでも考えてしまって何も撮れないよりはずっとマシですよね。極端な話、ピンぼけ写真だけどいい写真ってのも偶然に撮れるかもしれないし。

「デジカメ時代になってシャッターに込める気持ちが軽くなった」という意見もあってそれも一理あるとは思うんだけど、それが通じるのはプロとハイアマチュアの世界だろうと思うのです。ローレベルのアマチュアカメラマンとしては、そんなことは言わずにとにかく撮りまくることかなと思った次第。