仕事で使うナレッジツールを探していて、Wikiはきちんと書こうとしすぎてしまって逆に情報が蓄積されないという指摘を見かけてなるほどなと思いました。どこで見たのか忘れてしまったのでリンクを貼れないのですが(忘れたのはほんとです。ほんとにそんな記事を見たんです!
実際、社内Wikiでは「あとでちゃんと書く」で放置された文書とか結構見かけますよね。読む方としては書き散らしでもいいから情報があった方が嬉しいんですが、書く方としてはちゃんと書かなきゃのプレッシャーで書けなくなってしまうという気持ちもわかる。あと、Wikiの場合は大抵トップページからのツリー構造で文書化されるので、単体の文書としてだけでなく文書群としてもきちんとしてなきゃという意識が働きやすいというのもあるかもしれません。構成を決めないと書き始めれないので、そもそも書き出すことすら困難になってしまうと。
その点、例えばQiitaみたいな記事が独立したナレッジシステムだと、記事単体は完結して書きやすいような気がします。また、記事間に階層はありませんので、他の記事との構成を考える必要もありません。目次はありませんが、そこは電子データですから検索できれば目的の情報はすぐに見つけ出せますよね。そういう書き散らかしではなくてちゃんと整理した資料が必要ということであれば、業務の隙間時間でちまちまと資料を作るのではなく、資料を作るプロジェクトを立ててきちんと業務として行うべきなんでしょうね。
Wikiのいいところは誰でもその場で修正できることなんですが、typoなどのちょこっとした修正ならともかく、他の人の書きかけの続きを書くとか全体の構成見直しとかの手入れはなかなか難しいです。でも他の人が書きかけてるから、自分が別で新規に書くってのも失礼な話になって、結局ナレッジが出し惜しみされてしまうこともよくあることのような気がします。あ、もちろんこれは社内ナレッジの話で合って、ウィキペディアとかではまた事情は変わってくるんですけどね。となると、結局はコミュニティの性質に寄るのかなぁという気もしますが、会社というコミュニティはなかなかウィキペディアコミュニティのようにはなれないでしょうしねぇ。
(2017/4/27追記)
同じWikiでも、ウィキペディアではわりとうまく回っていると思うのに、社内の情報共有Wikiではなぜなかなかうまくいかないんだろうか。ということで、例によって想像ばっかりですが違いを考えてみました。
・ゴールが明確化・徹底されているか
ウィキペディアのゴールは「質・量ともに史上最大の百科事典を作る」です。これは掲げられているだけではなく、日常的にも議論の中で再確認として提示されます。議論が迷走したとき、ゴールに合致しているかどうかという観点で話し合われます。また、ゴールに至るまでの道筋として方針やガイドラインが取りそろえられています。これらに従うことで、多くの編集者が共同作業が出来るようになっています。
社内Wikiのゴールは「社内にあるナレッジを集約すること」でしょうか。これは多分そんなにぶれてないというか社内で共有されているとは思いますが、ウィキペディアのゴールほどに繰り返し徹底されているかというと、そんなことはなさそうな気がします。結果、ゴールはわかるけど今は忙しいから後回しにしようというようになって執筆に向かわないということになっていそうです。また、ゴールを実現するための道筋となるルールが整備されているところとなると、ほとんどないのが実状ではないでしょうか。
・加筆をたくす仕組みがたくさんある
ウィキペディアには書きかけの記事であることを示すスタブテンプレートを始め、加筆をたくすための仕組みが多数用意されています。それらのテンプレートに従って加筆することは方針などで完全に許容されていますので、加筆することで叱られたりすることはありません。
社内Wikiには、そこまでの仕組みが用意されていることはまれではないかと思います。社内Wikiはあくまでも仕事のツールの一つであって、社内Wikiを運用するために多くの手数を割いているということはなかなかないと思われます。
・ライセンスとして書き換えを許容している
ウィキペディアでは全ての文書に対してCC-BY-SA 3.0/GFDLのライセンスが設定されています。このライセンスでは他人が書いた文章を書き換えることを許容しています。
一方、社内Wikiの記事は業務中に書かれますから、通常は職務著作になります。著作権者は雇用者である企業になりますから、こちらも著作権的に書き換え問題はクリアになっていますね。
・ウィキペディアも完全にうまくいってるわけではない
一般の社内Wikiに比べるとうまく回っていると思われるウィキペディアですが、それでも完全にうまくいっているわけではありません。いくら書き換えが許容されているとは言っても、他の人が書いた文章を完全に書き換えたり消してしまったりすることは、心理的なハードルはあります。全面書き換えされたことで元の筆者が怒ってケンカになるということも実際にはあります。逆に、稚拙な記事だけどそれを書き換えることが躊躇されてずっとそのまま放置されているということもあります。
社内Wikiの場合は、書いた人が見えますから、この問題はより顕著になりそうです。上司が書いた記事を全面的に書き換えるなんて大抵は無理でしょうし、派閥などの社内政治も影響してきそうです。
・データベースならうまくいく?
公開されているWikiのなかでも、データベースWikiは比較的うまくいっている印象があります。ゲームのWikiでキャラやアイテムに関する情報がひたすら書き込まれているとかですね。ゲームに限りませんが。
データの場合は、書き方に議論の余地が少ないので、追加したり書き換えたりすることに躊躇が少ないのかなという気がします。キャラの名前が間違っていたら、それは誰が見たって間違ってるわけなんで、書き換える側も自信をもって書き換えれますし、元の間違った名前を書き込んだ人も修正されたことで不機嫌になることもありません。
しかし、社内Wikiの場合は共有したいのはデータではなくナレッジですので、この仕組みを利用することは出来そうにありません。
結局、ナレッジの蓄積にはWikiは不適というのは、その通りなのかなぁという気がします。ウィキペディアは様々な努力と偶然が重なってうまれたミラクルの一つなのかもしれません。
(2017/4/29追記)
これはWiki自体の特性とも言い切れないのですが、Wikiで構築されたFAQって廃れやすいかなぁという気がします。最初、気合を入れて充実して構築されたFAQも、時が経つとともにだんだんと現状と合わなくなってくる部分が出てきます。常にそれを最新に更新できれば理想ですし、その更新がしやすくなっていて維持がされやすいというのがWikiなんですが、実際にはそこまでうまくいってない例も多々あります。もちろん、Wikiですら無い静的ページのFAQとかだったら全く修正できなくてもっと荒廃するだろうとは思うのですけどね。
多分ですが、Wiki文書ってのも伽藍的なんだろうと思うのですよ。全体が巨大な構築物になっていて、部分的な改修ってのが難しい。その点、何度も例に出しますがQiitaのような記事独立型の文書システムは、ある意味でバザール的と言いますか。新しい情報は小さな新しい記事を書けば出来上がる。古くなって現状に合わなくなった記事は検索時に優先度が低くなっていさえすれば、それで文書群としての質はある程度保つことが出来る。記事の品質評価は何も自動的に行われなくても、いいねボタン的なものでも十分に実現できます。
ということで、FAQ的な文書群であればWikiよりもQiita的なシステムの方が鮮度を保つという意味では成果があげやすいのかなぁという気がしました。