西陣織の職人さんが無給の弟子を募集したということで炎上していました。「半年給与なし。仕事保証なし」 京都・西陣織職人の「弟子募集」はブラックと言えるのかの記事ですね。
実際には無給の労働というよりは無料の教室のようなものらしいので炎上は少々筋違いだったらしいんですけどね。徒弟制度と労働法ってのは非常に相性が悪いというか不整合が多々あるところなので今後うまく整合がとれるように整理されていくといいんですけどね。
ってのはおいといて、気になったのは次の一文です。
「いま、西陣織の職人の平均年齢は75歳程度です。こうした熟練の職人は、もう年金を貰っていますよね。そこで起きたのが、年金の支給額を踏まえた上で『工賃』が決まるといった現象なんです」
なるほど。そういうことが起こってるのですね。これ、多分ですが西陣織の独特の問題ではないですよね。主たる担い手が年金受給者である伝統工芸なんて日本中にいっぱいありそうです。伝統工芸のなかでは知名度が高そうでそれだけ市場も大きそうな西陣織がこのような状況では、他の伝統工芸ではもっと厳しい状況になっていそうな気がしますがどうなんでしょうね。
そして、これってもしかして伝統工芸に限った話でもないんじゃないかというのが表題の話です。他の産業、たとえばIT業界でも同じことは将来起こるのではないだろうか。というか、ITエンジニアである私は将来この加害者側に回ってしまうんではないだろうかというのが気づいた点です。
2017年時点での年金受給者も決して裕福とは言えません。報道で貧困老人の話を聞くことは多いですし、年金支給額が減額されるニュースでは受給者からの怒りの声があがることも多々あります。ただ、そうは言っても現時点での多くの年金受給者は年金だけで食えてるというのもまた事実です。もちろん、受給額が少なくて食えてない人とか、持病の治療費などでとても足りてないって人も居るとは思いますよ。だから「多くの」って言葉をつけたんです。年金だけで食えない人ってのは、現時点では比率としては少数だと思うんですね。
ところが、今後の老人は年金だけでは食えないです。優雅な老後に備えて何千万円もの貯蓄をしなければなんて脅し記事が乱舞してますが、そこまで余裕を求めなくても、どうやっても食えない状況の老人は今後増えます。確実に。食えない老人がとっとと死んでしまえば話は簡単なんですが、そうもいきません。そんなことがまかり通るようでは近代国家ではありませんよね。でも年金だけで食えないってことは、老人たちは働いて稼がないといけません。希望しての生涯現役ではなく、仕方なくでの生涯現役なわけですね。これはもう当人の望むと望まざるに関わらず、そうなります。はい。
そうして老人も働くわけですが、食うに十分ではないですが年金はもらってます。不足分を稼げばいいわけですね。それは現役時代よりは少ない額になることでしょう。その少ない額を稼ぐのに少ない時間で働くのでしたら単価は変わらないのですが、働く時間は現役並だったらどうでしょうか。それでも、老人は食うために働かざるを得ないでしょう。給料は少ないのに働く時間が同じと言うことは、実質的に給料が下がってるわけですね。つまり、労働力のダンピングが行われるわけです。近い将来にそういう老人世代の仲間入りを果たす予定の私も、多分そんな条件でも働くと思います。だって、とにかく今食っていかないといけないのですから。ダンピングによって業界が疲弊するとか、現役世代を苦しめるとか、そりゃ考えますよ。考えますけど、まずは自分の生活が成り立つことが優先じゃないですか。その陰で現役世代が苦しんでも、とりあえず見て見ぬ振りをすると思います。ひどい話だろうと思いますが、実際に自分が当事者になったときに「自分は後進に道を譲るために飢えて死ぬ」って選択が出来るほど高潔な人って、世の中にどれだけいるのでしょうかね。
そして、そういう「年金だけでは食えない老人」は今後大量に発生します。これらの老人が一斉に労働市場になだれ込むわけです。最低賃金とかの縛りがありますので無制限には労働価値は下がらないでしょうけれど、それでも大きな下げ圧力が働くことは確かです。そして、その結果として現役世代はその産業では食えないということになります。だって、年金収入があることが前提で食っていける給与額なのですから、年金をもらってない現役世代は食えないですよね。
少子高齢化で、少ない現役世代が多数の老人を支えないといけないと言われています。それはそれで大変なのですが、上記のことを考えると、現役世代は老人世代を支えようにも、そもそも労働市場から追い出されてしまう可能性だってあるんじゃないかということかと思います。なんか、書いてて暗澹たる気持ちになってきましたが、どうしようもない現実のような気もしてきました。どうしたらいいんでしょうねぇ。
(2019/4/2追記)
このような記事がありました。 安くてボリュームたっぷりで人気のとんかつ屋が、店主高齢のために閉店する。 そんなに人気店なら子供や店員が店を継げばいいのにと思うけど、それができないからくりがあった。 なぜなら、店主は年金をもらっていて、不足する分だけをとんかつ店から利益を得ればいいので。 安くてボリューミーなのは労働力のダンピングで実現されていたわけですね。 これでは現役世代は同じ価格でとんかつを提供できないですよね。
記事中にも指摘があるように、年金という他の収入源があること以外にも、店舗不動産が自己所有でローンも支払い終わっていることも大きいですね。 飲食店にとって、店舗の家賃というのは大きな負担ですから。 調理器具や什器などの設備の減価償却が完了していることも大きな要因です。
そして記事の最後にまとまっているように、年金だけでは食べていけないという強いられての生涯現役であったり、人生100年時代においての生きがいであったり、少子高齢化による人手不足であったりとかで、老年世代も今後は働かなくてはいけません。 しかし、その老年世代労働者が年金などの下駄をはいた状態で労働市場に参入するのは大きな問題でもあります。 これ、どうしたらいいんでしょうかね。
(2020/7/24追記)
不動産屋さんに教えてもらった店でクレープを食べたら『これは家賃を払ってない味だな』と思い謄本を見たらやはり“自己保有店舗”だった
"家賃を払ってない味"というのはなかなか秀逸な言い回しだと思いました。店舗が自己所有の飲食店は、家賃の分を材料費などの他の経費に回すことができるために、他の店舗と同じ値段でも数段上の味を提供できると。話の構造としては年金収入がある分ダンピングする西陣織職人と同じですね。
元の記事をクリップするのを忘れたのでURLは示せないのですが、年金をもらってる食堂経営のおばちゃんが、近隣へのご恩返しといって激安で料理を提供しているというニュースをみたことがあります。人件費や家賃どころか材料費すら赤字で、その赤字はおばちゃんの年金で補填していると。ニュースでは美談として紹介してましたが、近隣の飲食店にとっては迷惑以外の何物でもないですよね。
古典経済学では市場には神の見えざる手があるため供給も価格もいずれ安定するとしていますが、それは供給者が皆同じ条件で競争しているという前提ですよね。年金とか自己所有不動産とかのチート要素を持ってこられたら市場は破壊される。そしてバランスブレイカーが去った後は、供給者は残っていないため市場そのものが消え去る。さて、これどうしたものでしょうかねぇ。