昨年、保育園落ちた日本死ね!!!という匿名ブログが大きく話題になりました。結果として、保育をとりまく状況にスポットがあたり、保育園の増設や保育士の待遇改善に大きな成果がでました。まだ十分とは言えませんが、これまでの成果も認めないわけにはいかないと思います。
これについてふと思ったのですが、もしも同じ内容が匿名ブログではなく個人のブログに書かれていたらどうだったでしょうか。それが著名人であったにせよ無名の個人であったにせよ、ある程度特定される個人が書いていたとしたら、もしかしたらその人の他の行動をネタに足を引っ張る動きが活発に起こって視点がぶらされ、保育園問題の解決にうまく結びつかなかった可能性はあるかもしれません。
少し前のことですが、貧困高校生としてテレビで紹介された方は、過去のtwitterの発言が掘り返されて、そこにあった貧困というイメージと合致しない発言をもとに叩かれていました。完全無欠な弱者というのは存在しませんから、リアルな人物であればどんな人であってもつっこみどころのひとつやふたつはあるでしょう。そうした点をつっこんで議論がわき道にそらされるということは、残念ながらあり得るでしょう。
別の言い方をすれば「誰が言ったかではなく、何を言ったかが問題」ということなのですが、残念ながら世の中には誰が言ったかを問題にする人が一定数居ます。そして、それらの人も相手にしなければいけないのが世論であって政治です。とすれば、誰が言ったかでつっこみようがない匿名による発言というのは、こうした場合にはうまく作用するのではないかなと思った次第。
あとは、社会問題が個人の問題にすり替わることを防ぐことが出来るというのもあるかな。個人が保育園入れなくて困ってたとしたら、その人の子供が保育園に入れれば、その問題は解決してしまう。実際には多数の待機児童が居るのに、そちらには繋がらなくなってしまう。個人で提言した場合、そういう問題が起こりえるけど、匿名ならそうならずに済む。
匿名と実名(と筆名)は昔から議論になりますが、匿名に関するメリットとして発言から属人性を廃するという点があるのかなというのに気がついた次第です。