生越さんのつぶやきから
こないだも書いたけど、子供は親の作品でもなければ、持ち物でもない。社会のものを一時的に預ってるくらいに思っておいた方がいい。投信みたいなものだな。
— おごちゃん / Baron (@ogochan) 2010年2月21日
自殺を権利だと思う人は、「子育て」みたいな言葉にも抵抗がない気がする。なんとなくだけど、同じレベルのものを感じる。
— おごちゃん / Baron (@ogochan) 2010年2月21日
うーんと、自殺は権利とは思わないなぁ。でもそれは生越さんの考えとは多分違って、権利っていうと法律で付与されるものという感じがするので、それよりもっと根源的に"自殺する自由"があると思ってる。だからといって、自殺を勧めたいとも自分でしたいとも思わないけれど。でも、禁止されるもんでもないかなと。
余談だけど、法律では自殺権として明確に認められてはいないけど、一方で禁止もされてないですよね。だから、法律は消極的に自殺を認めているんじゃないかと思います。法律は生きた人しか相手にしないから、自殺を禁止したとしても、実際に自殺してしまった人を罰することは出来ない。でも、例えば自殺者の財産は相続させずに没収するというような方策は考えられなくはないですよね。それはそれで、親族の相続権の侵害になるから、法律として成立するかどうかというと、かなりダメっぽいけど。
もう一つ。子育てについて。こっちの言葉にも私は抵抗は無い。子供は自分の作品の一つだと思う。ある意味、人生最大の作品でもあると思う。でも、それは子供が自分の所有物であるという風には考えない。だから、部分的に生越さんの考えには同意するけど、部分的には同意出来ない。
子供が自分の作品だからといって、自分で自由にデザインして実装できると思っているわけではないです。むしろ逆で、自由に出来ないのに、子供の出来が悪いと親のせいにされてしまうという、不自由な作品だと思います。
もう一つ。子育てについて。「昔は子供なんてほったらかしでも勝手に育ってた」ってのは一つの正論なんだけど、現代社会は昔に比べてはるかに複雑になってしまったので、成人と認められるハードルが高くなってしまっている。昔流の、ほったらかし子育てではそのハードルを越えられないから、親が積極的に子育てに介入しないと成り立たないのではないかと思う。
(追記)
書こうと思っていたことを忘れていた。私にとって、子育てって、「上司が部下の面倒をみる」とか「先輩が後輩に指導する」というのの延長線上にあるかなと思ってる。部下は上司の所有物ではないし、後輩は先輩の所有物ではないという点も同じ。でも、面倒はみますよね。それと、子育てってのは似たような感覚なんです。
あと、これは子育てって単純に面白いです。人の人生をスタート地点から間近で観察できるなんて、めっちゃ面白いです。ま、この点については人によって好き好きがあるから、万人に言えることではないんですけれど。でも、私は楽しいから子育てに参加してます。
(更に追記)
子育てが楽しいからと言って、過保護や過干渉になってはいけないのは当然として、です。逆に過放任もいけないとは思いますけれど。
あとですねぇ。子育てを積極的に行わないといけない理由として、地域社会の子育て力の低下があります。私が子供の頃は、物心付いた頃には親の目を離れて近所で遊んでました。でも、近所に住んでいる人全員が知り合いだから、それぞれがそれとなく見ていてくれるので、特に問題ありませんでした。でも、現代の都市ではそういうことは出来ない。必然的に24時間親が見てないといけないわけで。そういった点も子育てに積極的に関わらないといけなくなった理由かなと。