記憶に頼って書いてますんで、盛大に間違っている可能性があります。
ジョンレノンっているじゃないですか。ビートルズのメンバーだった人ですよね。って、私は解散の前年の1969年生まれなんでリアルタイムには知っているわけではないんですが。で、このジョンレノンってファン(?)に銃殺されたんですよね。まだ私の子供の頃、調べてみたら1980年だそうです。日付が12月8日というのは真珠湾攻撃の日と同じなんで、なんとなく覚えてたんですが。
で、その銃殺犯は当然捕まって今は刑務所に居るそうなんですが、それが仮釈放かなにかされて、世間に出てくるということが検討されたそうなんですね。それが知られると、世界中のジョンレノンのファン達が「出てきたら、ぶち殺してやる」って騒いだそうなんですよ。そういうニュースを聞いたのが、20年くらい前の話ですかね。だから、かなりあいまいなんですが。
その「ぶち殺してやる」を聞いたとき、私は凄い違和感を感じたんですよ。いや、人としてはその気持ちは凄くよくわかるんですよ。自分達が大好きな人が殺されて、その犯人が死刑になったのならともかく、生きてしかも世間に出てくるとなったら、そりゃ殺してやりたくもなるというものですよね。光市母子殺人事件の旦那さんもかつてはそう言ってましたし。光市の人は今は意見を変えたみたいですけど。
で、殺してやりたい気持ちは分かるんですが、ちょっと待って欲しい。私は詳しくは知りませんが、ジョンレノンって確か愛だの平和だのを歌っていた人ではありませんでしたか?そのジョンレノンのファンということは、その愛だの平和だののメッセージを一番色濃く受け取っている人なんではないですか?その、愛だの平和だのを一番色濃く受け取っておいて、「ぶち殺してやる」ですか?それって筋が通って無くないですか?それとこれとは違うとか、犯人は愛と平和の対象外とか言うでしょうけれど、それを言い出したらあらゆる犯罪や戦争を正当化してしまうことになってしまうんで、やっぱり違うと思う。愛と平和を願うなら、その犯人をも許さなければならないんじゃないでしょうか。
って、別に犯人を許せって言いたいわけではなくて。ここからがようやく本題なんですが、ジョンレノンって音楽界というか世界でもかなり偉大な人の一人に数えることが出来る人ですよね。業績も素晴らしいものですよね。そのジョンレノンにおいてすら、「愛と平和」というメッセージをファンの人に対して伝えることも出来ないものなんだなぁという事を考えたんです。ジョンレノンは自らの音楽の力で世界に平和をもたらしたいと考えていた人ではなかったかと思うんですよ。同じようなことを考えた人は有史以来数え切れないくらいいたと思うんですよ。でも、歴史を紐解いてみるまでもなく、その試みは失敗に終わってますよね。これは別にジョンレノンが無力なわけでも、音楽が無力なわけでもないと思うんです。それだけ、人類を変えるというのは難しいことなんだな。その第一歩として人を変えることすら難しいものなんだなと、そういう風に思ったんです。
人類の未来において、世界が平和でありますように。