ものすごくおおざっぱに要約すると、技術を習得するときに基礎をきちんとやることで将来的な到達点が高くなるよと。逆説的に、基礎をおろそかにして見よう見まねでやってると、最初のうちは早く上達するようにみえるけど、いずれ頭打ちになるよと。筆者は何十年もの経験に基づいてこの結論を導き出していて、それは貴重な話ではあるんだけど、直感的にもそりゃそうだよねという話でもあるよね。
筆者の主張自体に異論はないんだけど、ちょっと気になったのは筆者が基礎を大切にしすぎていて、それのみを絶対的に考えているように見えるところかな。ちなみに筆者は基礎を大切にする指導法をAメソッド、見よう見まねで覚えさせる指導法をBメソッドと呼んでいるので、ここでもそれにならうことにする。
筆者はピアノ教師だそうだけど、プロの演奏家を養成したいなら筆者の主張は100%合ってると思う。Aメソッドで間違いないだろう。んでもね、私の疑問は、みんながみんなプロの演奏家になるわけでも、なりたいわけでもないだろうということ。実際のところ、100人の子供がピアノ教室に通っていたとして、将来プロの演奏家になるのは一人いればいいところだと思うのよ。まあプロの演奏家になるのは大変なことなので、なりたいと思ってなれるものでもない。一人しかなれないと言っても、プロの演奏家になりたいと思っている子供は結構たくさんいるかもしれない。それらの子供はなれるかどうかはともかく、プロの演奏家を目指しているんだからAメソッドでいいとは思う。でも、ピアノ教室に通ってくる子供ってそれだけじゃないでしょ?
情操教育とか教養としてピアノを習うとか、ぶっちゃけ友達が通っているから自分もというような子だっているわけだよね。目指しているレベルだって様々。プロの演奏家を目指しているだけでなくて、学校の授業でいい点を取れればそれでいいという程度のことだってあるだろう。そういう子にもAメソッドでいいの?ってのが疑問。
あと、トレーニングにはモチベーションが必要というのも重要な点。「自分は絶対に将来プロの演奏家になるんだ」という強い意志を持っている子供は、それ自体がモチベーションになるからそれでOK。問題なし。でもね、プロの演奏家になりたいと思っていても、そこまで自分を強く律することが出来る子供なんてそんなにたくさんいないよ。大抵は、モチベーションの維持に苦労するわけだと思うのよ。「のだめカンタービレ」に子供時代の回想シーンで、泣き叫んで嫌がる子供を親が無理矢理引きずってピアノ教室に連れて行くという場面があったんだけど、あれは別に特別なことではなくて、どこのピアノ教室でも普通にあることだと思う。って、ピアノ教室だけの特別なことではなくて、野球教室でも学習塾でもどこでもそうでしょう。教育・指導においてモチベーションを無視していいというのは、もうそれは残念ながら指導者とは言えない。モチベーションをいかに引き出すかというのも指導者の重要な資質でしょう。
ではどうやってモチベーションを引き出すか。やっぱり単純だけど効果が高いのは「出来る喜び」だと思うんだよね。ピアノだったら、曲が弾けるようになったらそりゃ嬉しくて頑張ろうと思うと思うのよ。でもAメソッドを厳密に適用すると、まず基礎の習得に数年かける必要があるので、曲練習は多分何年も経ってからということになると思う。その数年間、基礎だけをじっと我慢して練習し続けられるか。そのモチベーションを維持できるか。私はかなり疑問だと思うなぁ。
だから、個人的にはAメソッドとBメソッドの混合でやればいいんじゃないのと思うのよ。Bメソッドで「出来る喜び」を引き出してモチベーションをあげさせ、Bメソッドだけでは到達できないところを示してAメソッドにも取り組むようにし向けるとか。AメソッドとBメソッドは相反するかもしれないけど、組み合わせることが出来ないわけではないよねと思う次第。