テレビ創世記から活躍した筆者による実体験を交えた映像に関する考察。
ちなみに筆者は元NHKディレクター。映像に関わる仕事としては王道中の王道。一方、実は私も8年ほど映像に関わる仕事をしていたことがあります。といっても映像業界の中では傍流のCG制作プロダクションで、さらに傍流のコンピュータエンジニアとしてだけど。だから映像に関しては決して素人ではないという自負はあるんだけれど、正直言って門前の小僧程度のものでしかないから、こういう王道の人に対しては引け目を感じてしまう。だからまあ、改めて素人のつもりで映像とは何かということを学んでみたいなと思って本書を手に取った。
本書の前半はなかなか分かりやすいし、素直に面白い。主にドキュメンタリーを撮影する経験談が中心だけど、全てを撮影できるわけではないから映像が真実の全てでは無いという点であったり、映像が一人歩きしてしまう点などは、よく理解出来る。
エピソードの中で面白いなと思ったのは、初期の撮影現場においてカメラを移動させるたびに対象物までの距離を巻き尺ではかってピントを合わせていたところ、ついには「いちいち邪魔するんじゃねえ」と怒られてしまったという話。ここで面白いのは私の所属していたCGプロダクションのディレクターから聞いた話。ずっと時代は下がって1990年頃のこと、実写とCGを合成するために撮影スタジオでカメラがセットされるたびにカメラ位置を計測してたところ、実写撮影班から邪魔者扱いされたとのこと。かつては自分たちが同じことをして邪魔者扱いされていたのに、立場が逆転したんだね。なんか皮肉な関係。
面白いエピソードだなと思ったのは他にもある。日露戦争時のフィルムを発掘したときに、よく見ると舞台裏がちょこっと見えていたりする。つまり、ドキュメントと思ったらやらせフィルムだったと。これについて筆者は、やらせ映像であるという事を知っている人が居なくなったらこれが真実であると思われてしまうのではないかと懸念している。個人的にはそれはそんなに心配する事はないと思う。別にこれは映像素材だけに限った話ではなく、古文書でもなんでもあり得る事。そういうとき歴史家は複数の史料をつきあわせる事によって史実を推測するという作業を行っていく。映像素材も史料のひとつに過ぎないわけだから、映像だけが特別な道をあゆむことはないと思う。
この辺まではまだついていけるんだけど、後半になって難易度は一気に加速度を上げる。廃墟とかモンタージュとか割り符とか、一度通読しただけでは全然理解できんかった。悔しいんで、またいつか読み返してみたいと思う。
それにしても、今現在映像を制作している人で、映像とは何かをここまで真剣に考えている人はどれくらい居るだろうか。筆者の場合は映像が何であるかが全く分からない時代に手探りで制作してきたからこそそれを考えることが出来たのは確かだろう。既に方法論は確立され、フォーマットに則っていればベルトコンベアー的に映像が次々制作できてしまう現代において、そんなことを考えるきっかけすらないのかもしれない。私がCG制作プロダクションで働いていた時代はCG映像が黎明期だったからCGとは何であるか、何ができるかについては多少なりとも考えることはあった。でもそんな我々にしても映像自体については既に思考停止していたような気がする。それを時代のせいだけにするのは卑怯かもしれないけれど、筆者はある意味幸せな時代を過ごせたのではないかなとも思う。